【人気】国民・専門家・AIがガチで選ぶ戦国大名総選挙11位~20位

群雄割拠の戦国時代、天下統一を夢見た男たちが生きた時代

一国一城を治めた高名な戦国大名は100人以上と言われている

武闘派大名、頭脳派大名がいるが最強の戦国大名は誰だ?

年末の特番『ガチで選ぶ戦国大名総選挙』で

日本全国1万4千人の投票と歴史家、最新AIで名だたる大名の最強大名ベスト30が決まりました

20位:石田三成(1560-1600 享年41)

80,000の兵を束ねた!関ヶ原で西軍を束ねた戦国大名

(石田三成像:出典Wikipedia

獲得ポイント&部門別順位

  • 獲得ポイント 14,500ポイント
  • 一般部門 11位
  • 専門部門 27位
  • AI部門  33位

石田三成メモ

15歳で秀吉に才能を見出され、どんどん頭角を表していった。
賤ケ岳の戦いの時に滋賀県長浜市賤ケ岳の稱名寺僧侶に宛てた手紙が残っており、スパイを派遣してくれたことへのお礼が記されています。三成はいろんなお寺に諜報を依頼していたようです。情報収集力に長けていたんですね!

19位:藤堂高虎(1556-1630 享年75)

築城の名手として江戸城や大阪城を設計した

(出典Wikipedia

獲得ポイント&部門別順位

  • 獲得ポイント 15,100ポイント
  • 一般部門 31位
  • 専門部門 21位
  • AI部門  12位

藤堂高虎メモ

江戸城大阪城をはじめ20以上のお城を築城。戦場での経験を生かして最強に守りやすい城のスタイルを完成させた人物。その最高傑作が「水の上の要塞」と呼ばれ、鉄壁の海城である今治城(愛媛県今治市)。

18位:小早川隆景(1533-1597 享年65)

(小早川隆景像:出典Wikipedia

獲得ポイント

  • 獲得ポイント 15,400ポイント

小早川隆景メモ

毛利元就の三男、12歳で小早川家の当主になりました。毛利水軍の指揮官として毛利両川体制を支えて羽柴秀吉軍と対戦しています。
豊臣政権下になってからは小田原攻め、文禄・慶長の役では武功をあげています。

17位:北条氏康(1515-1571 享年57)

武田信玄・上杉謙信に並ぶ東日本トップ3大名

(北条氏康像:出典Wikipedia

獲得ポイント&部門別順位

  • 獲得ポイント 15,400ポイント
  • 一般部門 30位
  • 専門部門  9位
  • AI部門  21位

北条氏康メモ

織田信長が活躍する少し前に今の関東一体を治めていた大名。小田原城を発展させ数々の勝利に導いた。武田信玄や上杉謙信らと戦っても一歩も引くことはなかった。
氏康は総力戦での決戦は被害が甚大になるとの考えがあり生涯で2回しかしておらず2回とも勝利している。夜襲では音を出さないために鎧を脱いで攻撃をするといった作戦も決行しています。

 

16位:蒲生氏郷(1556-1595 享年40)

信長・秀吉にも高く評価された文武両道のスーパー大名!

(出典Wikipedia

獲得ポイント&部門別順位

  • 獲得ポイント 16,000ポイント
  • 一般部門 32位
  • 専門部門 21位
  • AI部門   8位

蒲生氏郷メモ

現在の福島県、会津を治めた大名。会津若松という地名をつけたのは蒲生氏郷。子供のころ信長の人質にだったがが、数々の戦で武功を挙げ大名にまで昇りつめた。
信長は自分の娘と結婚させた。秀吉は100万の大軍を指揮させてみたいと高く評価した。

15位:北条早雲(伊勢宗瑞)(1456-1519 享年64)

戦国時代の扉を開いた成り上がり大名

(北条早雲画像:出典Wikipedia

獲得ポイント

  • 獲得ポイント 16,300ポイント

北条早雲メモ

室町時代の終わりごろわずかな兵で国を攻めとる。たった一代で今の神奈川県、静岡県伊豆を支配した。支配した国の田畑に課税する検地を初めて行った大名。
北条早雲には伝説も多くあり、牛1000頭に松明をつけて、大軍に見せかけるという超意外な方法で、あっさり城を乗っ取ったそうです。そのことは「北条五代記」の火牛の計に記述がありますが、軍記物のため歴史資料として扱うことはできないそうです。
伊豆を攻める過程において、地震による津波による被害があったのですが早雲はその時に津波被害者を救助するといった行動をとっています。今でも地元の住民には尊敬されています。

14位:立花宗茂(1569-1643 享年75)

強いだけじゃない人柄も天下に認められた大名

(福厳寺所蔵:出典Wikipedia

獲得ポイント&部門別順位

  • 獲得ポイント 16,400ポイント
  • 一般部門 22位
  • 専門部門  8位
  • AI部門  28位

立花宗茂メモ

現在の福岡県柳川市一帯をおさめていた。当時防衛のために町中に張り巡らされたお堀はほぼ当時のままの姿を残していおり現在では観光名所になっている。
人を裏切る戦国時代において、決して仲間を裏切らないかった宗茂は敵方からも愛されたそうです。朝鮮での蔚山城の戦いの時に加藤清正が50000の兵に囲まれて絶体絶命だった。仲間はみんな諦めかけていたが、宗茂は自分の信念を貫き、わずか自分の兵が1000人ほどにもかかわらず先陣を切っていき、清正救出に成功しています。
関ヶ原の戦いの時は九州に帰る途中で14年前に父を倒した島津義弘に会ったが、同じ西軍として戦った仲間だからと言い攻撃はしなかった。

13位:斎藤道三(1494-1556 享年63諸説あり)

平社員から大企業トップへ、Mr.下剋上!

(斎藤道三像:出典Wikipedia

獲得ポイント

  • 獲得ポイント 16,700ポイント

斎藤道三メモ

現在の岐阜県を治めていた。当時は美濃を制する者は天下を制すると言われていた。
最初は長井家の家来だったが主人の悪い噂を流し主人を謀反の疑いで成敗し家来から家臣へ出世。その後、No.2の斎藤家が謎の死をとげて、自分がNo2の座につく。最終的には道三の不審な動きに気づいた者を毒殺、大名(土岐氏)を取り巻く人々を次々と殺害し、大名をひとりぼっちにしてたたき、自分が大名に成り上がった。
最近の研究では織田信長の時代から始まったと考えられてきた石垣は、実は道三が始めていた可能性が高くなっているそう。信長は道三の影響を色濃く受けたのではないかと考えられています。

12位:明智光秀(生誕不明-1582)

織田軍最強の兵力を誇り有名な事件を起こした戦国大名。

(明智光秀像:出典Wikipedia

獲得ポイント&部門別順位

  • 獲得ポイント 17,400ポイント
  • 一般部門  8位
  • 専門部門 15位
  • AI部門  29位

明智光秀メモ

上司である信長を追い込んだ「本能寺の変」が有名な大名。最後は秀吉に討たれますがそれまではほとんど負けたという記録がない織田軍最強の大名。武力があっただけではなく非常に頭が良かった。
難攻不落の黒井城を落とし丹波を攻略したことにより信長から大絶賛され丹波一国29万石を与えられている。
鉄砲術に長けており50m先の的を次々に射抜いたと言われている。
たぎたびおきる川の氾濫を治めるために治水工事を行ったり領地の人たちの税金を免除したりした光秀は領民から愛され、謀反者という汚名を着せられた光秀の座像を黒く塗り守りぬきました。

11位:島津義弘(1535-1619 享年85)

鬼と呼ばれる戦上手、南九州領土を最後まで守り抜いた!

(島津義弘像:出典Wikipedia

獲得ポイント&部門別順位

  • 獲得ポイント 18,100ポイント
  • 一般部門 17位
  • 専門部門  6位
  • AI部門  24位

島津義弘メモ

現在の鹿児島県と宮崎県の一部を治めていた。朝鮮出兵では、7000の兵で20万の朝鮮の兵を倒したという伝説もある。
島津の領土には800の城があり信頼できる家臣を置き北からの進行を防ぎ南九州を江戸時代まで統治した。
医術に精通しており家臣が怪我をした際には自ら手当をしたそうです。今でいう外科手術のスキルも持っていたともいわれ、家臣に医学を伝授していた記録も残っています。