【人気】国民・専門家・AIがガチで選ぶ戦国大名総選挙1位~10位

群雄割拠の戦国時代、天下統一を夢見た男たちが生きた時代

一国一城を治めた高名な戦国大名は100人以上と言われている

武闘派大名、頭脳派大名がいるが最強の戦国大名は誰だ?

年末の特番『ガチで選ぶ戦国大名総選挙』で

日本全国1万4千人の投票と歴史家、最新AIで名だたる大名の最強大名ベスト30が決まりました

10位:本多忠勝

喧嘩自慢で57戦負けなし!強い!強すぎる戦国大名

(本多忠勝像:出典Wikipedia

本多忠勝メモ

関ヶ原の合戦の後、現在の三重県桑名市を治めていた。桑名は西から東国を攻めるときの要、重要な桑名を任されるほど家康に信頼を置かれていた人物だったのです。
忠勝23歳の時、1570年の織田徳川軍VS朝倉浅井軍が戦った姉川の戦い。織田・徳川は5,000人、朝倉・浅井は10,000人というピンチにもかかわらず、忠勝が一人で突撃を申し出ます。忠勝を救うために皆が奮い立ち形勢逆転し勝利しました。

9位:真田昌幸(1547-1611 享年64)

領民と力を合わせとんでもない戦術を使う大名

(真田昌幸像:出典Wikipedia

獲得ポイント&部門別順位

  • 獲得ポイント  21,500ポイント
  • 一般部門     7位
  • 専門家部門  12位
  • AI部門      9位

真田昌幸メモ

長野県上田地方を約17年間治めた。上田合戦で徳川軍を2度撃退している。
兵の数は相手よりも少ないが農民たちに協力してもらって勝利している。農民たちには首を一つ取ってくれば地行(土地)を与えるという懸賞金制度を導入していた。作戦としては、敵が城壁をよじのぼってくると農民たちに上から熱いおかゆをかけさせたり、大声を出せて敵を威嚇したり、矢竹(弓矢の元になる植物)を弓矢の矢に加工して戦うというシンプルな作戦だったそうです。

8位:黒田官兵衛(1546-1604 享年59)

天才的な戦略で数々の勝利をあげた天才軍師

(如水居士画像:出典Wikipedia

獲得ポイント&部門別順位

  • 獲得ポイント  21,600ポイント
  • 一般部門   13位
  • 専門家部門  16位
  • AI部門     9位

黒田官兵衛メモ

現在の大分県中津市一帯を治めた天才軍師。秀吉の参謀として、天下統一を支えたんですよ。
官兵衛のすごいところは戦わずして勝つということですね。毛利との英賀の戦いでは毛利軍5,000 VS 黒田軍500と人数的には圧倒的に不利な状況だったのですが、村人と旗を大量に集めて一斉に上げることで、大勢の兵がいるように見せかけて見事に毛利軍を退けたのです。

7位:伊達政宗(1567-1636 享年70)

新しいものをバンバン取り入れたカリスマ大名

(伊達政宗像:出典Wikipedia

獲得ポイント&部門別順位

  • 獲得ポイント  22,600ポイント
  • 一般部門    2位
  • 専門家部門  18位
  • AI部門      7位

伊達政宗メモ

政宗が愛用した黒が特徴の甲冑は見た目がかっこいいだけではなく、最先端の技術を取り入れた、実用的・戦闘的な黒の甲冑です。甲冑には蝶番が入っており5つに分解できるようになっていて持ち運びにも収納にも便利です。兜の三日月の前立てが左右非対称なのは、刀を振りやすくしたためです。
外国との直接貿易も行おうとした政宗は西洋のものを仙台に取り入れるため外国と交易しようとしていました。その時建造された船「サン・ファン・バウティスタ号」は、寝室やキッチン24個の大砲を備えていた5層構造の全長55.35mの大きな船です。当時、無敵艦隊といわれたスペインの船が日本にたくさん来ていたのでその人らの力を得ながら巨大な船を造りました。

6位:徳川家康(1543-1616 享年75)

戦上手でここぞというタイミングを待つことができる、平和な街づくりが誰よりも上手

(徳川家康像:出典Wikipedia

獲得ポイント&部門別順位

  • 獲得ポイント  23,000ポイント
  • 一般部門     4位
  • 専門家部門   3位
  • AI部門     18位

徳川家康メモ

約260年間にわたり戦争のない時代を作った、江戸幕府の初代将軍・徳川家康。
家康は戦国一の健康オタクで馬術・剣術・水術にも優れており健康を維持することが天下人への道と考えていたました。また、医学・薬学の知識も戦国大名一持っていました。
久能山東照宮には家康が生前に使っていた国の重要文化財にもなっている薬を作る道具が保管されています。家康は中国から伝わった薬学書を読み自ら薬を調合していたのです。
家康は天下人になってからも質素な食事をとっていました。白米を食べすに麦飯を好んで食べたそうです。

5位:毛利元就(1497-1571 享年75)

知力を駆使して一代で中国地方をほぼ全域支配した西国の覇者

(毛利元就像:出典Wikipedia

獲得ポイント&部門別順位

  • 獲得ポイント  24,000ポイント
  • 一般部門     9位
  • 専門家部門    7位
  • AI部門      3位

毛利元就メモ

三本の矢の教えで有名な戦国大名。石見銀山を所有し圧倒的な財力で海賊を仲間にしてしまう奇抜な戦略家。
陶晴賢と戦った厳島の戦いでは陶氏のスパイが紛れ込んだ軍議で偽の情報を流しておびき寄せて水軍(海賊)と協力して挟み撃ちにし、20,000の兵力を持つ中国地方最大勢力の陶氏を3,000の兵で打ち取りました。

4位:上杉謙信(1530-1578 享年49)

 

(上杉謙信像:出典Wikipedia

獲得ポイント&部門別順位

  • 獲得ポイント  24,600ポイント
  • 一般部門    3位
  • 専門家部門   4位
  • AI部門      10位

上杉謙信メモ

越後の国(新潟県)を支配していた上杉謙信。手取川の戦いでは破竹の勢いだった織田信長を撃破している。川中島の戦いでは武田信玄と5度戦うも決着はつかなかった。
戦が強いだけでなく商売上手な戦国大名だった。敵地から領土を奪って税収を増やすことはせず、謙信は着物の原材料となる青苧(あおそ)という植物を貿易して非常に大きな財源とした。青苧を使った着物を公家などに着てもらい多くの人に認識され爆売れしたそうです。

3位:豊臣秀吉(1537-1598 享年62)

世渡り上手で愛嬌者!心をつかんだら離さない戦国一の出世頭

(豊臣秀吉像:出典Wikipedia

獲得ポイント&部門別順位

  • 獲得ポイント  25,200ポイント
  • 一般部門     6位
  • 専門家部門    5位
  • AI部門      4位

豊臣秀吉メモ

現在の大坂がある関西地方を約7年間治め約10万の兵で全国に拡大した戦国大名。農民の子から大名になった唯一のたたき上げ大名。持ち前の愛嬌と懐に入るうまさであの織田信長に認められ大出世しました。
金山銀山がある地を直轄領にして財力を見せつけることで権力を拡大した。山口県にある柏原美術館に所蔵されている書状には米を売ったお金で金銀を集めるよう指示するように書かれています。米が大事な時代に金銀を重視していたのです。現代でいう投資家のようなことをあの時代に行っていたのですね。
人心掌握術は見事で天下統一を目前にしていた秀吉は家康の寝城に部下もつけずに単身で乗り込み大阪城での秀吉への臣下の礼の時に大げさにして少しだけ丁寧に礼をしてほしいと頭をさげにいったという。この相手の懐に飛び込むというのが秀吉の強みである。

2位:武田信玄(1521-1573 享年53)

一糸乱れぬ結束力で敵を撃破!戦国の世で恐れられた百戦錬磨の戦国大名

(武田晴信像:出典Wikipedia

獲得ポイント&部門別順位

  • 獲得ポイント  26,500ポイント
  • 一般部門     5位
  • 専門家部門   1位
  • AI部門      6位

武田信玄メモ

今の山梨県を中心に中部地方一帯を治めていた。戦国最強といわれた騎馬隊は織田信長や徳川家康を追い詰めるも戦のさなかに病死し天下には届かなかった。
武田軍を見ると逃げ出すものもいると言われた武田信玄が結束力を高めるために行っていたことは、家臣への褒美は自分が大事にしていた刀や鎧を渡していた。そして、家臣のことを思って当時としては珍しい医師を戦場に連れて行っていた。

1位:織田信長(1534-1582 享年49)

 

(紙本著色織田信長像:出典Wikipedia

獲得ポイント&部門別順位

  • 獲得ポイント  29,500ポイント
  • 一般部門     1位
  • 専門家部門    2位
  • AI部門       1位

織田信長メモ

愛知県の一部尾張を治めていたが約20年で日本の中心部を制圧したが、あと一歩のところで本能寺の変が起こり生涯を閉じた大名。
誰でも自由に商売ができる楽市楽座や、外国との南蛮貿易を積極的に行った。日本初の天主(天守)をもつ安土城の築城など、新たな時代を切り拓きました。
桶狭間の戦いは奇襲作戦が通説となっていますが、最近の研究では緻密な作戦での勝利だと言われるようになってきました。その作戦とは、味方の丸根砦、鷲津砦から火の手があがるのを確認した信長は味方を助けに行かずに今川本陣を攻めに行きました。今川の軍勢の大半は砦にいて、義元のいる本陣は手薄になっていると判断したのです。今攻撃すれば、敵は戻ってこられないと考えた信長。当時の常識としては、自分の砦は守るものでしたが、自分の仲間を見捨てても義元の首をとりにいったのです。