【人気】国民・専門家・AIがガチで選ぶ戦国大名総選挙21位~30位

群雄割拠の戦国時代、天下統一を夢見た男たちが生きた時代

一国一城を治めた高名な戦国大名は100人以上と言われている

武闘派大名、頭脳派大名がいるが最強の戦国大名は誰だ?

年末の特番『ガチで選ぶ戦国大名総選挙』で

日本全国1万4千人の投票と歴史家、最新AIで名だたる大名の最強大名ベスト30が決まりました

30位:毛利輝元

毛利元就の孫で中国地方全土で112万石を治めた

(毛利輝元の肖像画:出典Wikipedia

毛利輝元メモ

毛利輝元の孫で元就亡き後も毛利家の当主として財力をつけます。織田信長には抵抗しましたが、豊臣政権下では五大老に任命されています。
関ヶ原の戦いでは西軍の大将となりますが戦いには参戦していません。関ヶ原合戦後は領地を縮小され広島から山口県の萩へと移っています。

29位:龍造寺隆信

現在の長崎・佐賀県を中心に活躍した北九州の覇者

(龍造寺隆信像:出典Wikipedia

龍造寺隆信メモ

大肥満と言われたその風貌で敵に脅威を与えるような戦術で肥前の熊というニックネームで呼ばれていました。強豪な武将がひしめく九州で九州三強戦国大名となった龍造寺隆信は有能な武将でした。

28位:柴田勝家

今川義元や浅井長政を破り腕っぷしの強さを見せつけた武将

(柴田勝家像:出典Wikipedia

柴田勝家メモ

織田家の筆頭家老として信長を支えて加賀一向一揆や上杉謙信ににらみを利かせるために北陸方面を任された大名。
天正10年(1582)の本能寺の変で信長を失うと清須会議にて豊臣秀吉に主導権を握られてしまう。その後、賤ヶ岳の戦いで敗れ北ノ庄城で正室のお市の方(信長の妹)と自害します。

27位:上杉景勝

上杉謙信の後継者として現在の新潟県を拠点に120万石を治めた

(上杉景勝像:出典Wikipedia

上杉景勝メモ

上杉謙信の甥。謙信亡き後、御館の乱で勝利はしたが上杉景虎をはじめ多くの親族を失いました。
賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉側についてからは秀吉下で武功を挙げて豊臣政権の五大老に任命されます。
秀吉没後は家老の直江兼続が石田三成と懇意だったことから徳川家康とは対立します。

26位:加藤清正(1562-1611 享年50)

熊本が誇る築城の名手

(清正公/浄池院殿永運日乗大居士肖像:出典Wikipedia

獲得ポイント

  • 12,400ポイント

加藤清正メモ

関ヶ原の戦いの後、肥後国(熊本県)で52万石を治めた。熊本城は清正が築城した。
熊本城は相手から攻められないような罠を仕掛けている城で、大きな櫓を49も造っており、石垣などで敵を囲み多方から攻撃をする枡形を複数しかも連続で造っている。最後は天守目前には暗い通路がありそこで敵がやられてしまう仕掛けになっている。

25位:今川義元

織田信長も尊敬した斬新な政策で国を大きくした超やり手大名

(今川義元浮世絵:出典Wikipedia

部門別順位

  • 一般部門 29位
  • 専門部門 20位
  • AI部門  31位

今川義元メモ

当時は戦になると村民を呼んでいたのですが相手が強いと拒否する人が続出。そこで義元は有力な家臣と村民を一つのチームにしてチームが勝つと褒美を与えるというシステムにしたのです。

24位:浅井長政

織田信長を追い詰めて泣かせた戦国大名

(浅井長政像:出典Wikipedia

浅井長政メモ

現在の滋賀県北近江を治めていた。信長の妹お市の方と結婚。
1570年の志賀の陣の時、信長軍に包囲されて絶体絶命の時に一向一揆の民衆が立ち上がり信長が後ろから攻められることになり形勢が逆転したと言われている。民衆が長政のために立ち上がった珍しい戦いです。

 

23位:前田利家

天下無双の槍の使い手で武功を挙げて信長の信頼を勝ち取った大名

(紙本著色前田利家像:出典Wikipedia

前田利家メモ

現在の石川県にあたる能登、加賀、越中の三国を治めて秀吉から与えられた金沢城を中心に活躍。加賀100万石の礎を築く。
6.3mもある長い槍の使い手で、前田利家の使用した甲冑から推測するとボディービルダーのような筋肉隆々の体型だったことがわかります。

 

22位:大谷吉継(1559-1600 享年42)

失明状態で戦地を駆け抜けた戦国大名。

(『太平記英雄傳 大谷刑部少輔吉隆』:出典Wikipedia

獲得ポイント

  • 13,800ポイント

大谷吉継メモ

現在の福井県・越前敦賀を治めていた。関ヶ原の戦いでは失明状態で西軍の武将として出陣。トレードマークの頭巾は若くして難病が原因でただれてしまった顔を隠すためだった。家康がもっとも恐れていたのは吉継だと言われている。

21位:井伊直正(1561-1602 享年42)

15歳の若さで徳川家家臣に!スピード出世した家康が最も愛した大名。

(井伊直正像:出典Wikipedia

獲得ポイント&部門別順位

  • 獲得ポイント 14,300ポイント
  • 一般部門 21位
  • 専門部門 23位
  • AI部門  20位

井伊直正メモ

現在の滋賀県彦根市を治めていた。城下町の町割りなどを行い彦根市の発展の基礎を築く!
徳川家康の四天王の一人。戦場では真っ赤な鎧で『井伊の赤鬼』と恐れられていた。直政は譜代の出身でないため出世をやっかんだ周りの人に認められてもらうように戦場では家臣よりも先に敵陣へ突進していました。