菜の花忌シンポジウム土方歳三と河井継之助-『燃えよ剣』『峠』【まとめ②】

作家の司馬遼太郎さんを偲んで行われる菜の花忌シンポジウム。

2020年2月14日に東京・よみうりホールで行われた第24回菜の花忌シンポジウムの模様をEテレで放送していましたので、記事にまとめてみました。

どうぞご覧ください。

パネリスト紹介

<パネリスト>

星野知子 女優、エッセイスト 新潟県長岡市出身、連続テレビ小説なっちゃんの写真館でデビュー
小泉堯史 映画監督 黒澤明監督の助監督を担当、今秋公開予定峠最後のサムライで監督脚本を務める
黒川博行 作家 2014年破門で直木賞受賞、大阪弁を駆使した作品が多い、新選組好きとして知られている
磯田道史 歴史家 国際日本文化研究センター准教授、著書武士の家計簿、司馬遼太郎で学ぶ日本史など

土方歳三-新選組の実像

 

燃えよ剣の主人公土方歳三(1835-1869)剣に生き剣と共に散った新選組副長です。

局長近藤勇と共に新選組を結成。京の都にその名を轟かせました。

近藤亡き後も土方は戦いを続け、各地を転戦。

しかし、函館戦争で戦死しました。享年35。

そのぶれない生きざまは今もなお人々を魅了しています。

 

黒川さんは警察小説とか有名ですが、一方で新選組がお好きだと伺っておりますが?

黒川博行

新選組は長く存在した組織ではないかと思っていたのですが、ちゃんと調べてみたら文久3年(1863年)に清河八郎に連れられて京都にやってきました。清河八郎たちが逃げて(尊王攘夷)自分たち(土方たち)だけ残って、3月に壬生浪士隊が発足しました、その年の9月には芹沢鴨を殺しているんですよ。

長い時間かけて内部抗争があってるんかなと思ったけど、あっという間の出来事なんですね。
そして、勤王の浪人浪士なんかをたくさん殺しているようには思うんですが、よくよくその記録を見てみると、自分たちの内部抗争で死んでる人が多いんですね。
士道不覚悟ってなもんで切腹とか首切れとか、とにかく中で殺し合いばっかりしてるんです。どうも連合赤軍みたいな感じがして(会場から笑い)そんなんでいいんですかと、結局、土方は自分で作ったこういう組織なんですからその組織が良いも悪いもわからんうちに函館迄行ってしまった。
僕は思うんですけど、近藤(近藤勇)という人物はようわからんですね。土方に担がれて局長になって、最後の最後は鳥羽伏見で敗れて流山に行ってその時投降しているんですね。どうもこいつは卑怯な奴ちゃうかと思う。
(武州多摩にいる時は)試衛館で道場をやっていた勢いでそのまま(新選組の)局長になったんですけど、どうも土方の手の上で転がせられているような、最後までそういう人でなかったのかな。
今回、燃えよ剣をちゃんと読みました。それで、この人のようにはなりたくないと思いました。(会場から笑い)

磯田道史

私、土方歳三、河井継之助型と勝海舟、坂本龍馬型との間に、男にも大きく二種類あって、母親思慕型恋人のめり込み型と呼んでるんですけど、つまり社会学的に言うと、自分がオギャと生まれながら、東京の日野に生まれた横に徳川幕府がある、だから私は幕府が好きです、武士の世に生まれただから私は武士が好きです。徳川武士を僕は守りますっていうのが土方。

河井も合理性はずっとあるんだけども、自分は譜代藩のしかも、犬も忠義を尽くす長岡藩なんですよ。犬の忠義ってことですごくゆわれる。殿様に叱られたら犬がシュンてなるそういう伝説を子供のころから聞かされてきた。それくらい殿様には忠義を尽くさなきゃならない。

河井さんはいかに合理的でも。これは母と同じですよね。生まれた時にいたから好き。

恋人の場合は決定的に違いますよね。赤の他人だから。自分で選ぶわけですよ。つまり坂本龍馬にしてみると、自分は侍だからサムライサムライとか言わないでしょ。世界中ずっと見て、西欧の奴はカッコよくていいな惚れたあっちに行こ、まったく自分が生まれたところから自分が寸断された行動をする。

勝海舟もそうでしょ、幕府一辺倒の生き方なんかしていないでしょ。新しい時代だと思ったらオランダの研究ですよ。自分が好きならそれでいい非常に柔軟ですよね。

この二つの典型でどっちがいいと言わず、司馬さんはきちっとそれを書いてるんですよね。

だから今日みたいに日本人がナショナリズムとかいろんなことになってきたときに、一次集団か二次集団かどっちがいいんじゃなくて、その中で生きた人間の姿を描いてる小説だという視点はとっても大事なような気がしますね。

土方歳三と河井継之助-ブレない男の美学

 

女性としてこういう土方歳三、河井継之助がそばに居たらどうですか?

星野知子(長岡出身)

負けると分かっていても、自分の死ぬ方に行ってしまう、美しい部分を小説で感じ取るんじゃないかなと。特に男の人達はこういうのに弱いんじゃないかなと思いますね。

女性としたら、土方歳三がかっこいいですよね。まず見た目がハンサム、立ち姿が絵になるって感じですよね。リーダーシップがあって寡黙でしょ、それでいて上手いとは言えない俳句を恥じらいながらつくっているっていう可愛らしさがあって、男同士の絆がしっかりある。近藤勇とか沖田総司とのきずなは女性から見たら憧れる部分ではあります。

河井継之助は風貌は、威圧感のある面構えはいいんだけど、女性にもてそうには見えない。あと、(小説を)読んでて理屈っぽい人だなと、ちょっとマイナスだったりするんですね。

司馬さんは土方歳三にはちゃんとお雪さんという女性を用意してくれて、(土方は)愛を知って散っていくってところがグッとくるんですよね。お雪さんは司馬さんの土方へのプレゼントじゃないかなあと思うんです。

 

小泉さんは河井継之助の奥さんおすが役には松たか子さんだそうですが、どういう女性ですか?

小泉堯史

僕はどうのこうのとかないんですよ(会場から笑い)ホントに。

黒澤さんの助監督をやっていた時から、どう素直に受け入れようかということを考えているんですね。

自分の中にいろいろ持っているとこの(小説)の人物は生きてこないんですよ。

司馬さんが書いたこの人物が自分の中に入ってくるようにするには、皆さんがいろいろおっしゃることは僕には関係ないんですよ。(会場から笑い)

ほんと素晴らしい素敵な人なんですよ、この人と一緒になりたいなと思うぐらいまでにならないと、映画を作ろうという気にはならないんです。

それに、司馬さんの凄いのは人物が心の中にきちんと生きているんですね、皮膚感というかそういうものをきちんととらえて書いているんですね。司馬さんの頭の中にはスクリーンみたいなものがあって、次々と浮かんでくる人だと思うんですね。この峠を読んだだけで河井継之助という人が非常に生き生きとしてるんですよ。

ほんとにその人と会っているか友人のように、非常に身近に感じて書いてるんだろうなっていうふうに感じる。

黒澤さんはシナリオを書いている時に人物が乗り移るんですよね、

司馬さんも小説を書いている時に河井継之助だとかが頭の中でいろいろ言うんでしょうけど、それを摑まえるのに司馬さんって一生懸命だと思うんですよね。そういう所が司馬さんの凄いところだと思うし、心を打つんですよね。

 

星野さんはご本の中に今を生きる 『武士の娘』 鉞子へのファンレターがありますけど

星野知子(長岡出身)

杉本鉞子という長岡出身の娘が大正時代にアメリカにお嫁に行くんですけど、英文で『武士の娘』という本を出版してベストセラーになります。

世界7か国語に翻訳されて今も読み継がれている本なんですけど、ただ、あまり知られていないんですよね。

杉本鉞子さんは峠の最初の方に出てくる筆頭家老の稲垣平助の娘なんですね。

その人が書いた本が、武士の心を持って育てられても合理的なアメリカの社会においても、自分は武士の娘の魂をしっかり持って、物の価値観も文化も大事にしているっていう本なんですけど、それを今読んでも、明治になって日本人が無くしたものをちゃんと杉本鉞子は持っていて、それを日本人として考えてアメリカ人にも読まれ続けられているっていうのが嬉しい。

調べてみると河井継之助と稲垣平助はライバルで、継之助のほうがどんどん出世して平助はダメになっていくんですけど、そういった武士の最後の社会の中での悲哀だとかを感じました。

 

磯田道史

武士の社会っていうのは極めて非効率。現代用語で言うと生産性の低い集団だったわけですよ。

つまり武士は戦って勝つための集団なのに草履取りとか荷物運びだとかを沢山雇っていてそいつらに銃を持たせるという考えはないんですよ。

一方、土方歳三はおそるべき速度なんですよ。新選組は戦うと負傷者が沢山出るんですけど、西洋オランダ医の一番いいのを連れてくるんですけど、医師がここは衛生状態が悪いので改善してくれと言ったら、すぐに改善していた。

この速度は武士の非効率な世界には無い。武士には日本の企業が今やっているような稟議(伺い書)を回さなければ行動が出来ない。知ったらすぐ行動に出るという土方達新選組の行動は武士にはない速さがある。

河井もそうです。草履取りだとかに与える録はもったいないからそれをそぎ落として、軍事費に回す。だから稲垣平助を追い越していく。

だから僕は土方さんと河井さんは日本人の商人が持っている効率性と合理性を持ってたんだと思うんです。

河井継之助が書いた口語とは?

 

司馬さんは河井継之助が書いた口語を見て、この時代にこんな口語を書く人がいたのかと感動している。

此の戦は第一御家の興廃も 此の勝ち負けにあり
天下分け目も此の勝負にありて
御家がなければ銘々も身もなきもの故
御一同共に身を捨て 数代の御高恩に報じ
牧野家の御威名を万世に輝し
銘々の武名も後世に残す様
精力を極めて御奉公いたしませう
死ぬ気になって致せば生きることも出来
疑いもなく大功を樹てられますが
もし死にたくない 危うい目に遭いたくないと
云ふ心があらうなら 夫こそ生ることも出来ず
空敷汚名を後世まで残し 残念に存じますから
身を捨ててこそ浮む瀬も あれと申しますれば
能々覚悟を極めて大功を立てませう

(河井継之助 口上書 引用)

 

磯田道史

まず見たことないですね、びっくりしますね、やっぱり名指揮官というのは、指揮官が思っていることが末端の兵士まで同じ思いになっていることが非常に重要です。

大抵の武士の集団は足軽以上が半分で、譜代の世襲権を持っている連中は城を枕に討ち死にするって、ちっちゃい頃から教わっているし、切腹も簡単にしますし、突撃しろっていったらまず逃げることはないんですけど、足軽以下はアルバイトですから、わかりやすい言葉で言うと、生きて帰ろうと思って戦うと帰ってきて死んじゃいますっていうのは、上杉謙信鎧は胸にありっていう言葉で越後の人はみんな知ってますから、生きて帰ろうと思う奴は死んで、死ぬ気で戦う奴は生き残れると教え込む必要があるんです、それがきちんと(口上書に)入ってるんですね。

土方歳三と河井継之助-司馬遼太郎さんのメッセージ

 

小泉堯史

星野さんが長岡の人は(継之助に)賛成する人も多いし反対する人もいると言っていたけど、これは僕は気に入らないんです。何で長岡って思いがあるんですよ。全員が賛成すればいいじゃんこの男に。(会場から笑い)なんでそんなことを言うんだ。

要するにそれは、福沢諭吉が書いてある「痩我慢の説」(明治34年(1901)に発表された福沢諭吉の著書)っていう本があるんです。

これが非常に河井継之助のことをよく現している本だと思うんですよ。勝海舟やそういった人たちが寝返っている時に、戦争やそういった事はある事だと、どういう時代でも、それをつらぬくことがもっと大事なんだと、思っているのが河井継之助なんだと、町が焼けたということは一時の災害であるけれども、たとえ焼けたにしても、その場でつらぬいているものがあるはずだと、それは福沢諭吉がきちんと見てたんだと思うんですよ。

僕はどういう時代にあってもそれが大事だと思うんですよ。そういう中でもつらぬくもの、大切なものを司馬さんは伝えたかったと思うんですよ。

だからこの河井継之助を選んで、日本人としては大事なことなんだよということをみんなに知らせたいというかね、読んでほしいと、日本人とは何なのか、根っこにあるのは何なのか、それは継之助にとっては士気とういか武士の気というか、そういうものであろうと司馬さんは考えられたんじゃないですかねえ。

燃えよ剣もそうだと思うんですよ。あの節義が大事だって言ってますね、土方をつなげたのはそれだと。

でもそういうことはもうほんとどっかに忘れ去られて、何にもないんだろうなと思うんです今は(現代は)。

 

磯田道史

僕、歴史上の人物を見たり戦争や外交の歴史を見てていつも大事にするのが、主体になっている人たちが何を正義に行動をしているかってことの分析なんですよ。

河井継之助は武装中立が彼の中では正義になる論理だっていうのはそれなりにわかるんですよ。

牧野家(長岡藩の藩主)は徳川譜代の大名で、薩長は徳川家をだましてやって来たと、ものすごい立派な軍備を河井は頑張って作りました。

ヨーロッパの様子を見て武装中立があります。(長岡藩は武装中立をします。)でも、僕が、河井の横にいたら大いに止めたと思うんですね。

一方では、革命を起こしたばかりの天皇を担いでる薩長にも彼らなりの思いこんだ正義がある。

勝ちに乗じている人たちに対して、立派な装備を持って背中の後ろで武装中立を認めるはずがない。

しかも新潟港を制する場所にあるので、こんな要所で武装中立なんて認められるはずがないって、僕なら説得したと思うんですね。

 

司馬さんは峠の文章の中で原理という言葉を何回も使っている。今生きている私たちに原理ってものをしっかりと持っているのかと問われているような気がする

小泉堯史

司馬さんは美しい物を書きたいとおっしゃていていましたね。

美しいと面白いってものは全く別のものなんですよね、僕の中では。

ところが司馬さんの小説は、美しいと面白いものがうまく調和されている。

たとえば、黒澤さんの映画、用心棒、天国と地獄も面白いですね、それでも美しさはあるんですよ。

司馬さんの素晴らしさは美しいものをやりながら面白さを秘めている。この二つが融合している、これが司馬さんの素晴らしさだと思う。

何がそういう風にさせているかというと、司馬さんの小説には品位というか品格がある。それが司馬さんの小説ではすごく大事なんだと僕は思う。

恒心であるとか正直であるとかいう言葉を司馬さんは非常に大事にしてますよね。それがようするに司馬さんが一番伝えたかったことである。

たとえば、黒澤さんは品格と歴史はお金では買えないよと言うんです。

ところが今は(現代は)、面白さの中で品格とかそういったものを潰そうとしているんですね、司馬さんが大事にしている正直さとか衷情であるとか昔の人が言っている道義であるとか、そういったものを崩そうとしている。

司馬さんの所にきちんと立ち戻って、自分なりに受け止めることが大事だと思う。

美しさと面白さ娯楽を非常にうまくつかんでる。その中で人を楽しませ、品位、品格を持ち合わせている、それが司馬さんの持っている魅力かなと。

 

星野知子

司馬さんのファンの方は司馬さんの作品を何度も読み返してると思うんですね。

若い時に読んだ峠はストーリーで読んでしまったりあるいは長岡の人として読んだ。ところが今回読みなおしてみると、原理みたいな言葉に引っかかってくる。自分に問いかけられている気がする。

何度か読むことによって、その時の人生の引っかかる部分があったり、問いかけられるところがあるところが面白さのひとつだし、それと美しさをまた味わいたいという気持ちになるのが司馬さんの作品だと思う。

土方歳三と河井継之助は読み返してみても、時代が一番変革していた時にブレない生き方を最後して終わっていく、ブレずに終わっていくのが一番美しいかなって思いますね。

 

磯田道史

司馬さんはおそらく河井継之助が一番大事にしていた書物は王陽明伝習録(王陽明の言行録)ですから、この伝習録とうい本はまさに原理しか書いてない本です。

ようするに原理が自分の外から与えられる。たとえばこういう道徳がありますよというのが与えられる時、それと原理は心の中からすべて生じられると伝習録は書いてあるので、実は陽明学的に河井継之助のように生きるのは大変なんですよ、自分で生きる原理を体の中で作らないといけない。(それは)非常に難しい。

ところが、わりと楽だったろうと思うのが、江戸時代の人と日露戦争までの人と高度経済成長までの日本人はそれなりに外に原理があるんですよ。江戸時代は親孝行と忠義をすればいい、司馬さんはもっと昔は神様を大事にすればいいという時代があったとおっしゃる。

その次の時代になると西洋にキャッチアップなので西洋のようにすればいい、学校でまじめに勉強して働けばいい、戦後になったら会社を儲けさせて自分の家族を大事にして所得を増すようにすればいい。

だけどこれから先、外から与えられるはっきりした原理なんてありますかね。

僕思うんですけど、じゃあ司馬さんにとっての原理とは何なのかと、

21世紀に生きる君たちへなんか見ると、ヒントなのは、自分以外の他者への優しさと共感というようなところに、司馬さん自身の生きる原理はあったと思いながら読んでましたね。

司馬遼太郎賞

 

司馬さんの活動を記念して贈られる司馬遼太郎賞。

「狼の義 新 犬養木堂伝」-林新・堀川惠子(共著)