菜の花忌シンポジウム土方歳三と河井継之助-『燃えよ剣』『峠』【まとめ①】

作家の司馬遼太郎さんを偲んで行われる菜の花忌シンポジウム。

2020年2月14日に東京・よみうりホールで行われた第24回菜の花忌シンポジウムの模様をEテレで放送していましたので、記事にまとめてみました。

どうぞご覧ください。

菜の花忌シンポジウム

 

今年のテーマは、映画の公開が予定されている2作品。

新選組副長土方歳三を主人公にした燃えよ剣と越後長岡藩の家老河井継之助を主人公にしたを取上げていました。

歴史小説の大家司馬遼太郎さん(1923-1996)独自の視点で歴史を捉え、今なお読み継がれる名作を数多く残しています。

司馬さんの描いた土方歳三と河井継之助。激動の幕末を生きた歴史上の人物です。

新しい時代にあらがい、そして敗れ去った男たちの生きざまは時代を超え多くの人々に愛され続けています。

今回のシンポジウムで、女優、映画監督、作家、歴史家と職種の違う4人のパネリストが燃えよ剣の2作品を通して、司馬さんが現代に問いかけるメッセージを紐解いています。

<パネリスト>

星野知子 女優、エッセイスト 新潟県長岡市出身、連続テレビ小説なっちゃんの写真館でデビュー
小泉堯史 映画監督 黒澤明監督の助監督を担当、今秋公開予定峠最後のサムライで監督脚本を務める
黒川博行 作家 2014年破門で直木賞受賞、大阪弁を駆使した作品が多い、新選組好きとして知られている
磯田道史 歴史家 国際日本文化研究センター准教授、著書武士の家計簿、司馬遼太郎で学ぶ日本史など

司馬作品との最初の出会いは?

 

星野知子(長岡出身)

高校に入学してから。

河井継之助という人は長岡の誇りでもある。でも、複雑な思いもあって、継之助は長岡を焼け野原にした張本人だと。

決してヒーローではなかった。

本を読むときは、司馬さんが継之助をどう書いているんだろうという気持ちで読んだ。

本を読んで初めて解ったのは。河井継之助がどう考えて、藩を考え、生き方を考え、人間としてどう生きるかどうしてあんなことをしたのか、この矛盾した人間だったのかというのを探りながら読んだ。

長岡の郷土史家の方が、この峠を読んだときに、司馬さんは継之助本人に代わって言い訳をしてくれているっていう風におっしゃったんですね。それがすごくわかった。

 

小泉堯史

新聞を読んだ記憶がある。

覚えているのは、カラスが好きだっていところが不思議な侍だなと記憶に残っている。

カラスってのは朝日に向かって飛んでゆく、夕日に向かって飛んでゆくってこれだけ覚えていたんですね。

カラスって不吉なものじゃないですか、近くにくると不幸があったんじゃないかと子供の頃は言っていましたよ。

この人は不思議な人だなあと(思いながら)読んだ記憶がある。それからはずっと知らなくて、

今回、映画を撮影するにあたって初めて全編読んだ。

司馬さんの作品をあまり読んでいないのに今日はこういった場にいていいのか、会場の皆さんより読んでないんじゃないかと思うんです。それが不安でドキドキしてます。早く帰りたいなあ。(会場から笑い)

 

黒川博行

 

中学生から30代のなかばまで大好きでよく読んでいました。40ぐらいからはほとんど読んだことはなかったんです。

今回改めて燃えよ剣を読みました。

一言で言うと上手い。ほんとにうまいんですよ。自分が物書きになってから読んだ司馬遼太郎と昔読んだ司馬遼太郎は違う。

なんと上手な小説を書くんやろうと感心しました。

特に戦闘場面、斬りあいなんか、あんな風に簡潔に、双方がどんな立ち位置で斬りあっているなんかいうのも言葉に過不足がない。

やたらに細かいところまで書くとリアリティがないというか、次にいこうという勢いがなくなるんですね、

でも、はい斬りました終わりました、片方は死にましたじゃ小説にならんのですよ。

いわゆる殺陣ですよね、アクションの殺陣を文章でこれぐらいうまく書ける人っていないのではないのかなと思いました。

あと、セリフが上手い。あと、字が上手い文章がね。(会場から笑い)全部うまい。

司馬遼太郎ってこんなにすごい作家なんかなってあらためて思いました。感心しました。

 

磯田道史

 

河井継之助のような頭のいい人が、ああいった環境に置かれるのは僕は可哀そうだと思う。

損得だけで考えちゃうと、早々と薩長についちゃえばいいわけですよ。

出来ないところにこの二人(河井継之助、土方歳三)。両方とも勝てる男なのに、勝つ技術からするとはかりごとも上手で、行動も機敏で、処置も適切で、勝てる男なんだけど、勝てない側と知っていてやらなきゃいけない悲哀がある。

司馬さんは薩長の小説も過不足なく書いてある。

 

司馬さんが描いた『峠』とは?

 

司馬さんが描いた。物語の主人公河井継之助(1827-1868)は現在の新潟県長岡市にあった長岡藩の家老を務めた人物です。

河井が生きた幕末動乱の時代。長岡藩を率いた河井は近代兵器を完備武装中立を目指し新政府軍に対抗しました。

しかし、北越戦争のさなかに戦死。享年42。河井が率いた長岡藩は以後賊軍の汚名をきせられたのです。

峠は昭和41年~昭和43年の間で新聞で連載されたけど、それから地元での受け止め方というのは変わった?

星野知子(長岡出身)

変わりましたね。私はその頃は子供でしたけど、河井継之助派と反河井継之助派というのがはっきりあったみたいですね。わりと長岡の人達は歴史好きが多くて、どっちだってゆうのが大きかった。ただそれは継之助派でも反継之助派でもきっぱりしてないんですよね。複雑なんですよ。他の地域の人達から河井継之助はダメだねと言われるとすごく反発するし、でも自分たち同士の話だとあいつはダメだねとか、結局は愛されてはいるんですね。

常に長岡の中では河井継之助は、歴史を語る上ではみんなの話題に上るし、結論が出ない人だったみたいなんですけど、司馬さんが書いてくださったおかげで、もっと広い視野で河井継之助を見ることが出来た。長岡の人達にとっては、司馬さんのというのはありがたい物でした。

小泉監督は峠を撮影されましたけど、河井継之助の役は役所広司さんが演じていますけど、河井という人物をどうとらえていますか?
僕は、他の資料は読まずに司馬さんが書いた小説だけ読んだんですけど。これに頼ってシナリオの中に落とし込んだ。地元でどうなっているとか僕の頭の中にはまったくないんですね。(映画を)どう受け取られようが僕はいいんです。司馬さんの小説を映画にしたっていう話だけであって。小説の内容をシナリオに落とし込むっていうのは難しいことです。
小説を最初に読んだのはあとがきで、『人間はどのように行動すれば美しいか』これがようするに武士道というか、もうひとつはどのように行動すれば公益・民のためになるか』これが江戸の儒学である。
この二つが幕末をつくった。司馬さんは芸術のように美しいと書いているわけですよね。僕はどうしても美しいというのに惹かれるんですよね。
要するに僕は長いこと黒澤さん(黒澤明監督)とやっていたんで、黒澤さんは美しい映画を作りなさいとよく言っていたので、美しいとは人物が美しくないとどうしても美しくならないんです。
河井継之助に出会ってみたい、知ってみたいというところから取り組んだわけ。そういうところからこれ()を書き始めた。
シナリオっていうのはラストが思い浮かばないと書けない。これ()はラストが素晴らしいんですよね。ようするに自分が死ぬと覚悟を決めて、それで下僕の松蔵に薪をくべらせそれを見つめながら死んでゆく。
これはどうしたってここは映画にしたいな。全編で映画にしたいなっていうのはそんなにないんですけど、ここを映画としてとらえたいなと思ったのが、この本(脚本)を描こうと思った大きな(きっかけです。)

自分の経験の中で、インドとかパキスタンとかで死んでゆく人をずいぶん見つめていたことがあるんですよ、遊牧民だとか、そんななかで一番印象に残ったのは、ベナレス(インド・ガンジス川沿いにあるヒンドゥー教の聖地)なんですよ。死体を24時間焼いている。死ぬ人をいっぱい連れて来ておじいさんとかおばあさんがいっぱいいる。目の前で焼かれているのを見てるってゆうのが僕の中では非常に印象が強いんですね。それ(ガンジスの事)とこれ(継之助の事)が自分の中で非常に重なってきて、ここをつかまえてみたいなっていう強い要望でシナリオにしたんですね。

磯田道史

峠という作品は司馬さんには珍しく、言い方は奇妙ですけど飛び出す絵本というか3Dで見ているよう。

司馬さんは一人の人物を一回主人公で書くことがほとんどで、2作一人の主人公で書いていることが少ないので、単眼鏡で観てるんですね。

ところが、河井継之助を主人公にした小説は英雄児という短編をを書いている。

非常に面白いと思うのが、長編と短編で同じ主人公が2本書かれている。それをのぞくと立体視が出来る。

英雄児のほうの河井継之助はむしろ害をなした男として描かれるわけですよ。

英雄児の)最後司馬さんはこう書いています「英雄というのは、時と置きどころを天が誤ると、天災のような害をすることがあるらしいと、でも司馬さんはこれだけじゃないともう一本()を書いているんですよ。

なぜ書きたかったのかは、だいたい僕解るんですよ。武士とはいったい何だったのか、もうひとつ河井継之助が自分が死んだときに、そこに火を焚けって言って火を焚かせる、それで河井がどんな男だというのかを説明したいんですけど、河井継之助の中心にあるものが何だろうと考えた時に、(河井が)17歳の時の逸話にあるんですけど、王陽明(中国・明代の思想化)という人のお祭りをやるんですよ、河井の中心にあるのは、心が全てであって、心の中から出てきたもので世界は作り上げるのだという考えなんです。

外の流れにぜったい任さない、朱子学がいかに主人が大切だとか親孝行が大事だとか、こういうふうにしきたりがなってますとかいっても、私利私欲がない自分の気持ちにしたがって、自分の心の中から作るもので世界は作るから、たぶんあー痛いと言って、意識を失って、勝手に流れに沿って自分は(遺体になって)焼かれるだろうと思うけど、自分が指示をしていない。

遺体が焼かれるなんてことをされることは、自分の心の中から出ていないので、はっきり死ぬのが怖いわけでもなくて、俺が焼かれるのは自分で指示しておく、主体になる事ということが武士にとって、とても大事なこと。

司馬さんも21世紀に生きる君たちへで、自我を確立せよと子供たちに物凄く言うわけですよね、中世までの日本人の武士達はそれを非常に強く持っていて、近世になってわりと外からの朱子学的な、皆さんそうなさいますからとか、これがしきたりですよとなっていくことへの危惧がおそらく司馬さんにはあって、きっとこれ()を書いたんだと思うんですよ。

 

河井の強さについてどう感じられますか?

黒川博行

蛾の強い人ですね・・・とんでもない人ですね。あんまり好きではなかったですね。(会場から笑い)

こんな人にはなりたくない。

結果的に、自分の考え、我の強さを出してしまう。藩を潰してしまったわけですよね。

まあ、僕やったら薩長が攻めてきたらハイハイゆうて城を明け渡しますけど、

こういうどんでもない人が頭に来た時に、越後長岡の人達には不幸だったのではないかと、率直に言って思いました。

星野(星野知子)さんがどう思っているか知りませんが(会場から笑い)

僕は愛媛県の人間ですけど、まあこんな人が家老でおったらとんでもない困りもんですね。しか思いませんね。

星野知子(長岡出身)

他の藩の家老たちもみんな実は、(武装中立するとか継之助は)なんてことを言いだすんだとか、どうして?って思いだすんですけど、いつのまにか説得されるというか、河井継之助のやりたいほうにいくしかないって時代もそうだったし、それだけ継之助はすごく頭もいいし、弁もたつし、先を見ているから、狭い中で何百年も生きていた藩の人達にとっては、従うしかなかった。

違う人が出て来て議論で戦える人が出ていれば違ったかもしれないのに、長岡藩には(継之助と)対等に戦える相手がいなかったのかなって気はしますけどね。