【感動】門司港駅の待合室奥に飾られている鏡の秘話とは

 

昭和20年8月の日本

 

長く続いた戦争がやっと終わりました。

 

 

北九州にあるここ門司港は国際港であるので、

 

海外で暮らしていた人たちが次々に船で門司港に帰ってきました。

 

 

船に乗り込んだ人たちの中には、

 

親子が別れ別れになった人、両親を亡くした子供もいました。

 

財産を捨ててやっと乗り込んだ船の中で、日本の土を踏むこともなく、死んだ人も大勢いました。

 

 

門司港駅は、船で帰った人たちであふれかえっていました。

 

当時は汽車の数も少なく、何日も駅のホームで夜を明かす人であふれました。

 

この人ごみの中に、小さな子供を連れた女の人がいました。

 

もうすぐ赤ちゃんが生まれそうな、大きなお腹をしてます。

 

日が沈み、あたりが暗くなったころ、女の人のおなかが痛み始めました。

 

女の人は、痛さと心細さで、誰にも助けを求めることが出来ず、

 

途方に暮れていました。

 

 

一人の若い駅員さんが、まわりの人に声をかけましたがみんな疲れ果てて、誰も手をかしてくれませんでした。

 

駅員さんは、この女の人をほおってはおけず、

 

小さな子を背負い、苦しそうにしている女の人を励ましながら病院へ急ぎましたが、

 

門司の街も戦争で多くの家が焼け病院も、なかなか見つかりませんでした。

 

 

疲れ切った女の人の足では病院を捜し歩くのも大変なので、

 

駅員さんの家に行き、駅員さんは近所に住むおばさんに助けを求めました。

 

 

翌朝、早くに無事に男の赤ちゃんが生まれました。

 

何日かたち、女の人もすっかり元気になりました。

 

 

遅れて門司港についたご主人は、駅員さんとおばさんに、

 

何度も何度もお礼を言いました。

 

赤ちゃんが生まれてから12日めの朝、幸せそうな親子は、

 

駅員さんたちに見送られ、門司港駅から、自分たちのふるさとへ帰っていきました。

 

 

年月がたち、当時生まれた赤ちゃんは大人になりました。

 

そして、自分が生まれた時の話を聞き、

 

お世話になった駅員さんに感謝して鏡を門司港駅に、

 

プレゼントしたそうです。

 

 

その鏡は『誇りの鏡』と名付けられここに飾られています。

 

 

 

門司港駅で働く駅員さんたちの誇りですね。

 

門司港駅に行かれた際には、待合室の奥を覗いて見てみてくださいね。