【映画】スカーレット八郎役の松下洸平『燃えよ剣』で斎藤一を演じる

ついに朝ドラ『スカーレット』が終了しました。

 

スカーレットでヒロイン川原喜美子(戸田恵梨香)の相手役を演じ一躍脚光を浴びた松下洸平さん。

 

ツイッターでは#八郎沼も現れ盛り上がりましたね。

 

そんな松下洸平さんがスクリーンで観れますよ!

 

映画は5月公開予定です。

 

新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、公開日を延期することを決定。⇒2021年10月公開決定

 

公開予定については、決定し次第、『燃えよ剣』公式ホームページでお知らせするそうです。

 

司馬遼太郎原作の『燃えよ剣』とは?

 

燃えよ剣は週刊文春で、昭和37年(1962)11月から昭和39年(1964)3月にかけて連載された幕末の新選組を描いた小説です。

 

新選組を描いた小説は局長の近藤勇を主人公に描いくことが多いのですが、司馬遼太郎さんはこの燃えよ剣で土方歳三を主人公に描いています。

 

その後の、新選組を題材にした小説時代劇の多くは司馬遼太郎さんが描いた土方歳三の影響を受けていますね。

 

 

原作でのストーリーは、

 

武州で近藤勇が道場主をしている試衛館で天然理心流の剣を学んでいた土方歳三は、幕府が将軍上洛の警護に浪士組を設立するというので、歳三は近藤勇、沖田総司、らとともに浪士組に参加し、京に上る。

 

京に上ったら浪士組の首領清河八郎は、隊の性格を180度転換させ、天皇勅許の攘夷集団にと宣言する。

 

歳三と近藤は、朝廷側に寝返った清河と袂を分かち、芹沢鴨一派と新選組を結成するのだった・・・

 

 

京都での新選組の活躍、鳥羽伏見の戦い、戊辰戦争を描いています。

 

 

燃えよ剣での斎藤一の登場場面

 

 

 

松下洸平さん演じる斎藤一とは原作燃えよ剣ではどのように描かれているのでしょうか?

 

斎藤一が登場するのは、京に上ることを承諾する場面で、播州明石の浪人斎藤一は、

加盟します、いったん明石に戻るので結盟には遅れるかもしれませんと発言している。

 

次に登場するのは、新選組が結成され京の町でそこそこ知れ渡って来た頃、

芹沢一派の粛正の為、土方歳三が新見錦に切腹をさせる場面で、土方に同行している。

セリフはなく、原田左之助、永倉新八とむっつりした顔で新見錦の切腹を見ているという場面。

 

新選組が一躍有名になった池田屋事件では出てこず、伊東甲子太郎が隊に入り、山南敬助が切腹をした後、

新選組の組織編制をした組織表に、三番隊組長 斎藤一と名前が出てくる。

薩摩藩に通謀した疑いのある五番組長武田観柳斎を一刀で討ち取っている。

伊東甲子太郎も隊を離れ、暗殺される。

 

時世が変わり、15代将軍徳川慶喜が大政奉還をし、王政復古の大号令が発せられる。

そして、鳥羽伏見の戦い。新選組も旧幕府軍として参戦していた。

弾雨の中で、土方歳三が隊士の顔ぶれを見た。60数名の隊士がいた。

結党以来の組長たちの顔があったとして、斎藤一の名が出てくる。

 

薩摩・長州軍が錦の御旗を掲げたことを知り、徳川慶喜は大阪から離れる。

新選組も関東に戻った。

新選組を主軸とする甲陽鎮撫隊は甲州に向かって出発をした。

斎藤一ら幹部は、旗本のかぶる青だたき裏金輪抜けの陣笠に陣羽織と、服装を説明している。

 

甲陽鎮撫隊は解散した。

土方歳三は会津へと向かった。歳三は、風の便りで近藤の死を知る。

歳三のもとには、千人という人数の兵が集まっていた。この兵の集まりを新選隊と名付けた。

斎藤一はこの隊の副長である。

斎藤は京都時代は強いだけでさほど味のある人物ではなかったが、各地に転戦してゆくうちに、

どういうわけか、性格が剽軽になり、

斎藤は土方に笑いながら、諾斎(だくさい)という雅号をつけたから、これからはその号で呼んでもらいたいと言う。

土方は、噴き出して理由を聞くと、なんでもあんたの言うことを聞くから諾斎だと言った。

この号は死ぬまで用いているらしい。

 

新選隊は榎本武揚率いる旧幕府艦隊に乗り北上する。

函館は占領したが、松前藩が降伏しない。土方歳三は兵七百を率いて五稜郭を出発した。

土方が、夜中の雪中行軍で川に飛び込むんだという指示に、

斎藤は冗談じゃない、京でも鴨川をお泳いだことはなかったのに、と言いながらも対岸に渡る。

彰義隊と共に大手門まで敵を追ったが門を閉ざされてしまう。

斎藤一は、彰義隊の渋沢成一朗、寺沢新太郎らと協議し、搦手門へまわる。

土方に、勝手に作戦を変更するなと怒鳴られるが、斎藤は口早に説明し、土方もそれに納得。

門を最初に突破したのは彰義隊の寺沢新太郎で、次いで斉藤一ほかが飛び込び、松前城は落ちた。

 

松前城から二丁ほど離れた小屋で、女中風の娘が若い女性を守っていた。

その女性は松前藩藩主の正室だった。

土方は、斎藤一と松本捨助にこの女性達を松前藩主がいる江差まで送るように命じ、そして江戸までお供せいと命じた。

そして、江戸についたら故郷に帰れと言う。

斎藤は眉をひそめて土方に、断る、あんたとは結成以来一緒にやってきた、これからという時にごめんだと言ったが、

土方は、隊命に背くものは斬るという新選組の法度を忘れたかと、有無を言わさず承知させた。

 

土方は餞別にと、松本捨助に十両、斎藤一に三十両渡した。

この餞別の差は、故郷に帰れば松本は身寄りがあるが斎藤には家族がないからだ。

 

二人は蝦夷地を脱し、明治末年頃まで生きた。

山口五郎(斎藤一の改名)は晩年まで、歳三のことを妙な人だったと語っていた。

 

 

史実での斉藤一

 

 (斉藤一/Wikipedia出典)

 

史実上での斉藤一とはどんなひとだったのでしょうか?

 

文久3年(1863年)3月10日、芹沢鴨・近藤勇ら13名が新選組の前身である壬生浪士組を結成した時に、斎藤一を含めた11人が入隊。

 

斎藤は20歳にして副長助勤に抜擢。新選組行軍録には三番組組長として名が残っている。

 

池田屋事件では、土方歳三隊に属し、事件後幕府と会津藩から金10両、別段金7両の恩賞を与えられている。

 

伊東甲子太郎が御陵衛士を結成して新選組を離脱すると、斎藤も御陵衛士に入隊する。

 

稗田利八の述懐によると、斎藤が新選組に戻った際、「副長助勤斎藤一氏、公用をもって旅行中のところ、本日帰隊、従前通り勤務のこと」と掲示が出ていたという。

 

鳥羽・伏見の戦いに参加、3月に甲州勝沼に転戦。斎藤はいずれも最前線で戦った。

 

斎藤ら新選組は会津藩の指揮下に入り、白河口の戦いに参加。母成峠の戦いにも参加。

 

土方らは庄内へ向かい、大鳥ら幕軍の部隊は仙台に転戦したが、斎藤は会津に残留し、会津藩士とともに城外で新政府軍への抵抗を続けた。

 

会津藩が降伏したあとも斎藤は戦い続け、容保が派遣した使者の説得によって投降した。降伏後、捕虜となった会津藩士とともに、謹慎生活を送った。

 

明治2年(1869)会津藩は新たに斗南藩と命名され、斎藤も斗南藩士として下北半島へ赴いた。その後、氏名を藤田五郎に改名している。

 

明治7年(1874)7月、東京に移住。警視庁に採用される。

 

明治10年(1877)二番小隊半隊長として西南戦争に参加。

 

警視庁退職後は、博物館の看守、撃剣師範等の勤務をした。

 

大正4年(1915年)9月28日、死去。享年72。

 

 

まとめ

 

 

スカーレットの八郎役で一躍脚光を浴びた松下洸平さん。

 

松下洸平さん演じる斎藤一ですが、

 

小説と史実での斎藤一の人生に違いがありますが、映画ではどう描かれるのでしょうか?

 

司馬遼太郎さんの描いた渾身の『燃えよ剣』、

 

幕末の動乱の中に生きた斎藤一をどう演じるのか楽しみですね。

 

これを機に、斎藤一ファン、司馬遼太郎ファンが増えてくれれば嬉しいですね。