司馬遼太郎の『国盗り物語』を読み解く⑨常在寺~朱唇

国盗り物語 斎藤道三 前編 常在寺、金華山、朱唇の3章は、庄九郎が美濃国に入り、常在寺の日護上人と兄の長井利隆に会うまでを書いている。

庄九郎の自分を売り込む姿が痛快だ!

斎藤道三 前編 常在寺、金華山、朱唇-あらすじ

 

常在寺

 

庄九郎は京を離れ美濃に到着した。

美濃で真っ先に訪れたのが、稲葉地方(今の岐阜市付近)にある鷲林山常在寺(しゅうりんざんじょうざいじ)。

この寺の住持(じゅうじ)、日護上人は美濃の実力者、長井豊後守利隆(ながいぶんごのかみとしたか)の実の弟である。

庄九郎と日護上人は京の妙覚寺大本山では法蓮房と南陽房と呼ばれ机を並べて学んだ仲だった。

久々の再開に二人は盃を交わした。

昔を懐かしみ話をする二人だったが、話題は美濃国内の話になった。

美濃一国の守護土岐家は源頼光(みなもとのよりみつ)以来の名家だが親族で争っている状態だった。

日護上人は庄九郎にこの病んでしまっている美濃を治療してくれないだろうかと言う。

 

その翌日、早暁に庄九郎は金華山にのぼった。

 

金華山

 

金華山は稲葉山ともよぶ。

庄九郎は山を登りながら観察している。

谷は深く尾根道以外からは登れる山ではない。尾根道は痩せ馬の背を歩くようなもので二人並んでは歩けない。中腹から上は、吹き上げてくる谷風だけで、体勢を崩し谷底へ転がり落ちそうになる。

百万の敵が攻めて来ても落とせないだろうと思った。

 

鎌倉時代に二階堂行政がここに山城を築き、二百年朽ちっぱなしになっていたのを足利中期ごろに斎藤利永という武将が修築した。

今は、長井氏が管理をしている。

 

金華山の頂上にたどり着いた庄九郎の脳裏には城郭の縄張りが浮かび上がっている。

 

朱唇

 

京の山崎屋から杉丸と赤兵衛が馬、荷駄を引いて美濃にやってきた。

荷駄にはあふれんばかりの荏胡麻油を積んでおり、美濃国内で売り歩くのだ。

馬には砂金と永楽銭を積んでいた。砂金、永楽銭は土岐家など主要な在所にばらまくかと思いきや、すべて常在寺に寄進するというのだ。

 

寄進と聞いて日護上人は驚き喜んだ。しかもそれが、砂金と永楽銭というのだから日護上人は肝をつぶした。

この当時は、物々交換がおもで、永楽銭も明国から輸入されるものが主だった。この美濃のような田舎ではこの銭こそまだ珍しかった。

 

この寄進の話を聞いた日護上人の兄、長井利隆は庄九郎は土岐家の為に尽くしてくれる男かもしれんと思い、供を連れて常在寺を訪れた。

が、庄九郎は美濃に飽きたので京へ帰る支度をしていた。

長井利隆は、あれほどの人物を他国へ逃がすようなことがあってはならんと何とか引き留めようとするが、庄九郎は京の女房から便りが着て、それをみたら急に恋しくなったのだと言う。

利政はその手紙を見せてもらったが、それを見て利政は顔が真っ赤になった。その紙にはなにも書いておらず、ただ口唇が朱印のごとくくっきりとついてるだけだった。

利政は庄九郎は抜け目がないように見えてこのようなおのろけをするとはよほど底の抜けた男であろうと、あとあとまで人に語っている。

が、これは庄九郎の手であった。

しかし、長井利隆は庄九郎にほれ込んでいた。利隆は言葉をつくし、修辞を多くし粘りに粘った甲斐があったのか、その夜の更けたころ庄九郎はうなずいた。

これに、長井利隆、日護上人兄弟は手をうって喜んだ。

 

国盗り物語紀行

 

常在寺

常在寺の章で、庄九郎が妙覚寺大本山で法蓮房と南陽房と呼ばれ机を並べて学んだ仲だった、日護上人を訪ねたお寺として登場している。

明応5年(1496)斎藤利藤の子、毘沙童は南陽坊と名を変え、妙覚寺 (京都)に入り日善上人に師事した2歳年上の兄弟子には法蓮房が居たという。南陽坊は教養があり賢かったため高僧となり、永正13年(1516)には長井豊後守利隆に招かれて美濃に帰国。妙覚寺の末寺であった常在寺の住職となった松波庄九郎は日護上人を頼って美濃国に下向したとされる。日護上人の没年は不詳。常在寺住職は斎藤道三の遺児である日饒が継いで妙覚寺19世住職となった。

 

常在寺の地図(googleマップ活用)

 

金華山

金華山とは現在の岐阜城が建っている山で稲葉山とも言う。金華山の章では庄九郎が早朝から一日かけて山の形状を観察している。

 

なぜ、金華山ていうの?
金華山という名は、この山に多いどんぐりツブラジイ)の花が初夏に一斉に開花する様を眺めた粋人(織田信長ともいわれている)が金の花咲く山」→金華山と呼んだ名が付けられたといわれています。

 

知っ得!<金華山メモ>

  • 標高:329m
  • 地質:古生代のペルム紀~中生代の三畳紀に堆積したチャート。非常に固く浸食されない
  • 天然林が9割以上を占めるこの山には、リスやタヌキなどの野生動物や野鳥が多く生息してる。
  • 10の登山道が整備。体力に合わせてコースを選ぶことが出来る。山頂まで約30分~1時間。
  • 山頂にはロープウェーでも行くことができる。
  • 1201年(建仁元年) 二階堂行政が山上に砦を築く。後に二階堂氏は稲葉氏と改姓し、当山は稲葉山と呼ばれるようになる。
  • 15世紀中頃 斎藤利永が遺構を利用して城を築き、以後斎藤氏の居城となる。
  • 1567年(永禄10年) 織田信長の居城となり稲葉山城から岐阜城と改称。天下統一の拠点として、山上には天守、山麓には壮麗な御殿(天主)が建設され、城下町には楽市・楽座が設けられて繁栄した。
  • 1601年(慶長6年) 徳川家康により岐阜城は廃城とされた。岐阜城から天守や櫓などが加納城移築された。以後、山への立ち入りは禁止された。

金華山の地図(googleマップ活用)

 

国盗り物語 斎藤道三 前編

開運の夜 後の斎藤道三、松波庄九郎は妙覚寺を飛び出したが、乞食に成り下がっている・・・
奈良屋のお万阿 庄九郎は、青烏帽子の源八を討ったといって奈良屋を訪れるが・・・
運さだめ 奈良屋の護衛隊長になった庄九郎、荷駄を備前まで運ぶのだが・・・
小宰相 庄九郎は有年備中守の館に火を放とうとするがそこである女と遭遇するのであった・・・
京へ帰る 荏胡麻の買い付けをしながらも庄九郎は備前一国を盗れないだろうかと形勢を調べる。
淫楽~兵法者 奈良屋の主お万阿は松波庄九郎に会いに有馬温泉を訪れる。
お万阿悩乱~奈良屋の主人 庄九郎はついに万阿を抱き、奈良屋の主人になったのだが・・・
奈良屋消滅~美濃へ 庄九郎は名実ともに奈良屋を盗り、そこから一国を盗るべく美濃へ出立する。
常在寺~朱唇 庄九郎は美濃国に入り、常在寺の日護上人と兄の長井利隆に会う。
深芳野、西村勘九郎 長井利隆に同行し庄九郎は土岐頼芸に会う。名を西村勘九郎とする。土岐頼芸の愛妾深芳野も登場する。
京の夢、お万阿問答 一旦京の山崎屋に戻った庄九郎。庄九郎とお万阿の掛け合いがコミカルに描かれている。
槍術「一文銭」,槍、 槍 西村勘九郎が法蓮房時代より独学で学んだ槍術で名声を上げようとする。
水馬、林の中で 西村勘九郎はひょんなことから深芳野に接近する・・・
天沢履、虎の瞳、深芳野を奪る 勘九郎は得意の槍を使い頼芸と賭けをする・・・
川手城、火炎剣 土岐頼芸の使いで川手城を訪れる西村勘九郎。帰路で闇討ちにあうが・・・
那那姫 西村勘九郎は守護が住まう城を落とすために東奔西走する。
府城乗っ取り、大狂言 西村勘九郎率いる軍勢が守護・土岐政頼が住まう川手城を乗っ取りに向かう。