司馬遼太郎の『国盗り物語』を読み解く⑧奈良屋消滅~美濃へ

奈良屋消滅、歓喜天、美濃への3章では、庄九郎が名実ともに奈良屋を盗み、そこから一国を盗むべく美濃へ出立するまでを描いている。

ついに庄九郎の国盗りが本格的に始まります。司馬さんも余談と司馬さん独自の歴史観(司馬史観)で斎藤道三の英雄の定義について記しています。

斎藤道三 前編 奈良屋消滅、歓喜天、美濃へ-あらすじ

 

奈良屋消滅

 

庄九郎は、単騎京の夜を南に下り大山崎八幡宮の神官津田大炊の門を叩いた。

門番に銭をやり多少手荒な真似をしたが、境内にある事務官の松永多左衛門の家へ入った。

庄九郎は多左衛門に奈良屋が大変なことになっているので神官津田大炊への取次ぎをお願いしたが、

多左衛門は夜分遅い故、明け方まで待てと言う。

 

そのころ奈良屋では、神人たちが奈良屋に乱入し、調度品を略奪したり乱暴の限りを尽くし、山崎八幡宮の朱印状を燃やしてしまった。これで奈良屋の荏胡麻油の販売権は消滅した。

神人どもは引き上げていった。奈良屋は油商としてはつぶれてしまったのだ。

 

朝になり赤兵衛が庄九郎のもとに駆け付けた。

多左衛門へ事のいきさつを赤兵衛から説明させた後、庄九郎は多左衛門様があの時取り次いでいればかような事態にならずに済んだのにと多左衛門に詰め寄る。

多左衛門は真っ青になってしまった。

あらためて朱印状を下げていただきたいと庄九郎は多左衛門に言ったが、それは無理な話で、

警察権を委任している神人が奪った奈良屋の営業権利を神社側で勝手に復活させることはできないのだ。

そこで庄九郎はこう言った。

それがしの生地である山崎を屋号とし、山崎屋庄九郎として朱印状をつかわすというのならよいでしょう。

これに多左衛門もほっとして宮司殿に申し上げようとなった。

営業権は三日目におりた。庄九郎は奈良屋をわがものにしたのだ。

 

のちの斎藤道三の国盗りの第一歩となった。

 

歓喜天

 

庄九郎は奈良屋の養子から店も、商売道具も、手代売り子もそのままで屋号を変え山崎屋庄九郎になった。

杉丸なんぞは店がそのままの状態で営業できることに喜んだが、お万阿は、まるで狐にでもつままれたようだと、浮かない様子だ。

夜、寝床で庄九郎はお万阿にこう言った。

「奈良屋はつぶされて、大山崎八幡宮から庄九郎に、山崎屋という屋号があたえられた。この屋敷のあるじは庄九郎で、お万阿は嫁にすぎぬ」

これを聞いたお万阿は蒼白になりふるえた。

だが、庄九郎は優しい。お万阿にそなたを不幸にはせぬと言う。ただ、商いのやり方、従前の家風を一変させると言った。

 

二人は盃を交わした。これは山崎屋庄九郎にお万阿が嫁入りをしたという儀式だ。

 

美濃へ

 

山崎屋は大いに繁昌したが、庄九郎は浮かない顔をしている。

というのも、幕府からの『徳政』があったからだ。

徳政とは、一言で言うと、官令による借金の踏み倒しのことである。

庄九郎の時代の数代前の将軍でさえも甲冑を質に出して生活をしていた。

武士とは勝手なものだと庄九郎は思った。と、同時に足利幕府などほろぼすべしと考えた。

その夜、庄九郎はお万阿をよび、幕府を倒したいと言った。まじめな話である。

すぐには無理だから、どこか一国を盗り軍勢をそろえて京へ上り将軍を追い出して、天下を樹立する。

庄九郎はまじめに話しているのだが、お万阿は、まあ、おもしろいと、この人何冗談を言ってるのかしらと聞いている。

が、何度も言うが庄九郎は本気である。庄九郎の真顔を見てお万阿はぎくりとした。

一年で一国を盗れるめどがついたらお万阿をよぶと庄九郎は約束をした。

 

それから数日庄九郎は部屋にこもって国盗りの一国をどこにするか思案した。

考えに考え抜いて、美濃にしようと決めた。

理由は、街道が四通発達し天下の交通の要地であることと、鎌倉時代から続く土岐家がシロアリに食いつぶされているかのように衰退しているからだ。

 

庄九郎が武士の姿に戻りひとり京を発ったのは大永元年の夏である。

『英雄』とは?司馬さんの余談と司馬史観(歴史を俯瞰して一つの物語と見る)

 

歓喜天の章では、(まず、余談であるが)と余談で始まる。

斎藤道三にゆかりのある岐阜にある常在寺を訪れた時のことを書いてある。

 まず、余談であるが。
先日、著者は、庄九郎、つまり斎藤道三の故地を調べるために、美濃へ行った。
美濃の国岐阜に、常在寺という古刹があり堂宇が古色をおびている。
-(略)-住職は北川英進といわれ、岐阜市立長森中学校の教頭さんである。
「道三は、真に英雄という名にあたいする人物でございますよ」
と、朝夕、道三のために供養しているこの人はいった。いや、道三は不幸にもこの常在寺にしか祀られていない。北川英進氏は、朝夕、庄九郎に奉仕している世界でただひとりのひとである。

(国盗り物語 斎藤道三 前編 歓喜天 より引用)

※『国盗り物語』の初出は昭和38年8月~昭和41年6月です。

 

続けて、司馬さんは著者には英雄の定義がわからない。この小説を進めながら読者とともに考えてゆきたいと書いてある。

毎日道三の供養をしている常在寺の住職がおっしゃっていた、道三は英雄です。という言葉。

この国盗り物語という小説は、この、道三は英雄です。という言葉を司馬さんなりに文章に反映していっているのか、

私は司馬遼太郎さんほどの歴史小説家でも、小説を書き進めながら読者と考えてゆくつもりという言葉に驚いた。

この国盗り物語という小説は執筆前に英雄像を固めて作業に入ったのではなく、作業を進めながら英雄像を固めていったことになる。若かりし頃の司馬さんが模索しながら書き綴った作品なのだ。

私も司馬さんの投げかけてくる問い(庄九郎の英雄定義)に答えながら小説を読み進めなければならない。

 

さて、司馬さんは英雄定義が分からないと言いつつも、英雄を自分なりに仮定している。

英雄とは、自分が抱いた野望に強烈に生きる人だとすれば道三はまさしくそうだ。と書き、

道三が英雄として評価されていないのは、江戸時代の儒教道徳から道三型の人間は悪いヤツとされてしまったからと書いている。

儒教は人間の上下関係で守るべきことをも説いているので、道三のような上の物を蹴散らしてゆくような型の人間は受け入れられなかったのでしょうね。

 

そして、司馬さんは常在寺に保存されている道三が使っていた斎藤山城と刻まれた印鑑の印形を見て、実に几帳面な印形であると、道三の性格を推測している。

じつに几帳面な印形である。これをもし愛用していたとすれば、庄九郎道三という男は大それた野望をいだきながら、しかも気の遠くなるような着実な場所から、計画的に仕事を運んでゆく男なのであろう。

(国盗り物語 斎藤道三 前編 歓喜天 より引用)

 

開運の夜の章で常在寺に保存する重要文化財の斎藤道三像から道三の人となりを司馬さんは想像していました。

当サイト司馬遼太郎の『国盗り物語』斎藤道三編を読み解く①~開運の夜~ 開運の夜の章で司馬さんが説明している資料で紹介していますよ。

 

肖像画で人物像を想像できるのはわかるけど、印鑑の印形でここまでを推測するのは、これぞ司馬史観だ!と私は思わず手をたたいてしまった。こういった現代に実存するものから人物の性格を読みといいてゆくなんて、司馬さんの歴史上の人物に対する愛情が伝わってきます。

小説『国盗り物語』斎藤道三前編の歓喜天2ページ目にこの斎藤山城と刻まれた印鑑のを印刷しています

 

国盗り物語 斎藤道三 前編

開運の夜 後の斎藤道三、松波庄九郎は妙覚寺を飛び出したが、乞食に成り下がっている・・・
奈良屋のお万阿 庄九郎は、青烏帽子の源八を討ったといって奈良屋を訪れるが・・・
運さだめ 奈良屋の護衛隊長になった庄九郎、荷駄を備前まで運ぶのだが・・・
小宰相 庄九郎は有年備中守の館に火を放とうとするがそこである女と遭遇するのであった・・・
京へ帰る 荏胡麻の買い付けをしながらも庄九郎は備前一国を盗れないだろうかと形勢を調べる。
淫楽~兵法者 奈良屋の主お万阿は松波庄九郎に会いに有馬温泉を訪れる。
お万阿悩乱~奈良屋の主人 庄九郎はついに万阿を抱き、奈良屋の主人になったのだが・・・
奈良屋消滅~美濃へ 庄九郎は名実ともに奈良屋を盗り、そこから一国を盗るべく美濃へ出立する。
常在寺~朱唇 庄九郎は美濃国に入り、常在寺の日護上人と兄の長井利隆に会う。
深芳野、西村勘九郎 長井利隆に同行し庄九郎は土岐頼芸に会う。名を西村勘九郎とする。土岐頼芸の愛妾深芳野も登場する。
京の夢、お万阿問答 一旦京の山崎屋に戻った庄九郎。庄九郎とお万阿の掛け合いがコミカルに描かれている。
槍術「一文銭」,槍、 槍 西村勘九郎が法蓮房時代より独学で学んだ槍術で名声を上げようとする。
水馬、林の中で 西村勘九郎はひょんなことから深芳野に接近する・・・
天沢履、虎の瞳、深芳野を奪る 勘九郎は得意の槍を使い頼芸と賭けをする・・・
川手城、火炎剣 土岐頼芸の使いで川手城を訪れる西村勘九郎。帰路で闇討ちにあうが・・・
那那姫 西村勘九郎は守護が住まう城を落とすために東奔西走する。
府城乗っ取り、大狂言 西村勘九郎率いる軍勢が守護・土岐政頼が住まう川手城を乗っ取りに向かう。