司馬遼太郎の『国盗り物語』を読み解く⑤~京へ帰る~

斎藤道三 前編 京へ帰るの章-あらすじ

 

館を燃やされた有年衆は怒り狂って庄九郎に襲いかかってきます。

 

 

庄九郎はそれを創意工夫でもって蹴散らして無事に備前の国にたどり着きます。

 

 

備前の国福岡にたどり着いた庄九郎は荏胡麻の買い付けをする。

 

 

庄九郎は地侍の屋敷を宿所とした。

 

 

荏胡麻の買い付けをしながらも庄九郎は備前一国を盗れないだろうかと形勢を調べる。

 

 

宿所としている宿主の福岡肥前介から挿話を聞き、備前一国の人物を聞いたりした。

 

 

が、備前一国には新興勢力が大勢あり国中がたぎった状態なので、備前は無理だなと悟った。

 

 

荏胡麻の買い付けを終わらせ京に帰った庄九郎は又、意外な行動に出るのだった・・・

 

松波庄九郎の創意工夫

 

現代では昨今、効率をよくする無駄をはぶく為に創意工夫をするようにという企業が増えてきました。

 

創意工夫」とは、今までになかった新しい考え方や方法を見つけ出すことをいいます。 他の誰も思いつかないようなことを考え出し、それを行うためのよい方法を考え巡らす、ということです。

 

この章で松波庄九郎庄九郎は創意工夫でもって、有年衆を蹴散らしています。

 

その創意工夫というのは、長槍を使用しての集団格闘です。

 

庄九郎は牢人衆に長槍の穂をそろえさせ密集させています。

 

有年の兵が寄ってきたら、頭上に長槍を振り下ろす、そうすると相手は槍を立てる。

 

相手が槍を立てようとしたときに、両腕のつけねがあく。その具足のすきを槍で突き刺す。

 

この時代までの戦い方は、まず一番槍が「一番槍をつかまつる」と言いながら先頭に入り、二番三番と続く戦い方が主流だったが、庄九郎は集団でしかも通常よりも長い槍を使用し有年衆に勝っている。

 

まさに創意工夫が勝利をもたらしたのです。

 

司馬さんは、斎藤道三の一生は創意工夫の人生だったと書いています。

 

現代にも通用する創意工夫を斎藤道三は戦国時代に行っていたんですね。

 

 

司馬さんの余談

 

ここで司馬さんは、これは余談といって書き記しています。

 

西洋の軍人のことばだが、「歴史は、軍人どもが戦術を転換したがらないことを示している」というのだ。職業軍人というものは、古今東西、頑固な伝統主義者であり、愚にもつかぬ経験主義者達である。-(略)-が、「しかしながら」と、この言葉はつづく。「と同時に、歴史は、戦術転換を断行した軍人が必ず勝つことを示している」

(国盗り物語 斎藤道三前編 京へ帰る より引用)

 

庄九郎に蹴散らされた有年家は、南北朝以来の命家である赤松家の支族で、いわば戦では玄人の家筋です。

 

有年家だけではなくこれまでの諸国の武将は伝統的なやり方で、それを別のものに変えようとはしなかったのでしょう。

 

だが、庄九郎は出が武士ではないので、伝統的なやり方にとらわれることなく、戦い方も効率のよい戦い方が出来たのでしょうね。

 

司馬さんが紹介している資料-耶蘇会士(やそかいし)日本通信

 

庄九郎は備前国で荏胡麻の買い付けを済ませ無事に京に戻ってきますが、

 

当時の京の状況を司馬さんは、耶蘇会士の日本通信に書かれている文章で説明しています。

 

このころの京は、公卿文化の雅こそ衰えたが、人口の多さはやはり天下第一の殷賑の府で、戦国中期にやってきた耶蘇会士の日本通信天文十八年十一月五日発の報告書にも、
「キョートの戸数九万以上」とあり、「この町を見たポルトガル人たちはみなリスボンよりも大きい、といった」とある。

(国盗り物語 斎藤道三前編 京へ帰る より引用)

 

統計によると2015年の京都市の人口が約147.5万人、2016年のリスボンの人口が約50.47万人と京都の人口がリスボンの人口をはるかに上回っていますが、天文18年にはすでに京はリスボンを上回っていたんですね。

 

 

司馬さんが京の状況を説明するのに使っている耶蘇会士の日本通信とは、

 

天文18年(1549)のフランシスコ・ザビエルの来日から天正8年(1580)までの間に、日本で布教活動をおこなったイエズス会の宣教師・修道士らが、活動状況や日本社会についてインドやヨーロッパの会員に充てて報告した書簡をまとめて、慶長3年(1598)にポルトガルで刊行された書籍です。

 

司馬さんは小説を執筆するにあたって、ちりばめられているファクトをかき集められるだけかき集めて調査をし数々の作品を世に送り出しています。

 

坂の上の雲を執筆するときには、ダンプトラック1台分の古本資料を集めたと言われています。

 

国盗り物語の前編の主人公斎藤道三の資料は数少なかったでしょうけど、戦国時代の情景が垣間見れる資料は集めれるだけ集めて調査し執筆したのでしょうね。

 

 

国盗り物語紀行

 

長船町福岡(備前国福岡)

 

中世から近世においては山陽道の宿場町・市場町として栄えた。福岡市(ふくおかのいち)と呼ばれ、西国一の賑わいであったといわれている。この市は長く繁栄し、江戸時代まで続いた。

 

庄九郎の時代は、福岡の隣村は刀鍛冶で有名な長船村で刀鍛冶の村として天下にその村名は聞こえており、諸国から刀を買い入れに来るものが多かった。こうした旅人は福岡に宿泊した。

 

刀工は長船派と呼ばれる多くの名刀を生み出し、福岡一文字といった有名な刀工派閥が誕生、備前刀として伝統工芸となり今に残る。さらにはこの地は備前焼の集積地としても知られていた。

 

京へ帰るの章では、庄九郎が荏胡麻の買い付けに行った場所として登場している。

 

<知っ得>

黒田官兵衛の先祖は備前福岡にいたことがあり、黒田家が九州の筑前に封ぜられた時、先祖ゆかりの備前福岡の地名をとって、城下町の地を福岡と名付けた。今の福岡県の福岡市がそれです。

 

長船町福岡の地図(googleマップ活用)

 

 

国盗り物語 斎藤道三 前編

開運の夜 後の斎藤道三、松波庄九郎は妙覚寺を飛び出したが、乞食に成り下がっている・・・
奈良屋のお万阿 庄九郎は、青烏帽子の源八を討ったといって奈良屋を訪れるが・・・
運さだめ 奈良屋の護衛隊長になった庄九郎、荷駄を備前まで運ぶのだが・・・
小宰相 庄九郎は有年備中守の館に火を放とうとするがそこである女と遭遇するのであった・・・
京へ帰る 荏胡麻の買い付けをしながらも庄九郎は備前一国を盗れないだろうかと形勢を調べる。
淫楽~兵法者 奈良屋の主お万阿は松波庄九郎に会いに有馬温泉を訪れる。
お万阿悩乱~奈良屋の主人 庄九郎はついに万阿を抱き、奈良屋の主人になったのだが・・・
奈良屋消滅~美濃へ 庄九郎は名実ともに奈良屋を盗り、そこから一国を盗るべく美濃へ出立する。
常在寺~朱唇 庄九郎は美濃国に入り、常在寺の日護上人と兄の長井利隆に会う。
深芳野、西村勘九郎 長井利隆に同行し庄九郎は土岐頼芸に会う。名を西村勘九郎とする。土岐頼芸の愛妾深芳野も登場する。
京の夢、お万阿問答 一旦京の山崎屋に戻った庄九郎。庄九郎とお万阿の掛け合いがコミカルに描かれている。
槍術「一文銭」,槍、 槍 西村勘九郎が法蓮房時代より独学で学んだ槍術で名声を上げようとする。
水馬、林の中で 西村勘九郎はひょんなことから深芳野に接近する・・・
天沢履、虎の瞳、深芳野を奪る 勘九郎は得意の槍を使い頼芸と賭けをする・・・
川手城、火炎剣 土岐頼芸の使いで川手城を訪れる西村勘九郎。帰路で闇討ちにあうが・・・
那那姫 西村勘九郎は守護が住まう城を落とすために東奔西走する。
府城乗っ取り、大狂言 西村勘九郎率いる軍勢が守護・土岐政頼が住まう川手城を乗っ取りに向かう。