司馬遼太郎の『国盗り物語』斎藤道三編を読み解く-天沢履~深芳野を奪る⑭

 

国盗り物語 斎藤道三 前編 天沢履、虎の瞳、深芳野を奪るの章では、

 

西村勘九郎が頼芸と賭けをし深芳野を自分のものにするまでを描いています。

 

略筮、天沢履と海外から見た戦国の労働者への待遇につても記載していますよ。

 

斎藤道三 前編 天沢履、虎の瞳、深芳野を奪る-あらすじ

天沢履(てんたくり)

 

ある秋晴れの日、西村勘九郎は土岐頼芸の御機嫌取りに鷺山城に登った。

暇をもてあそんでいる頼芸に乞われて勘九郎は、略筮(りゃくぜい)で八掛(はつくわ)を出しましょうと言う。

略筮とは50本の筮竹を使う占いのことである。占いの結果は天沢履と出た。

天沢履の意は、おとなしくしていれば諸事好転するという意で、小吉というところである。

だが、勘九郎はこの天沢履に、特別な意味を読み取った。頼芸は不思議に思ったが、勘九郎は「お兄君の御屋形様の事」とだけ言った。

 

その夜、頼芸は考えた。

兄のお屋形様とは、美濃の守護土岐政頼のことである。かつて、父政房は兄を嫌い、弟の頼芸に家督を継がせようとしたが、このことで美濃が両派にわかれ戦になりそうになったが、足利将軍の調停で、兄の政頼が家督を継いだ。頼芸としてはそれが面白くなかった。

頼芸は周易(しゅうえき)関係の書物を調べたみた。そこには、天沢履には先人の後を継承するという意味も含まれていると書いてあった。さらに、自分の妻妾が多情不貞の働きをする恐れがあるとも書いてあったが、そこは自分には当てはまらないと思った。

 

翌日、勘九郎は天沢履の意味が解けたと言う頼芸に、「いずれ、ご本望を遂げれるように勘九郎が尽力しまする」と伝えた。

 

虎の瞳

 

西村勘九郎は、京より赤兵衛を呼び寄せ、最近雇った耳次と二人を、守護土岐政頼が住まう川手城の下士に近づかせた。

赤兵衛と耳次が川手城の下士と昵懇になり、勘九郎軍が攻め込むときに城の内部に火を放つという作戦の為だ。

 

鷺山城の頼芸に呼ばれ勘九郎は鷺山城に登城した。

頼芸は酔っており、深芳野がはんべっている。

武芸の話になった。

頼芸はふすまの絵を指して「あの虎の瞳を槍でつけるか」と言い出し「つければ望みのものは何でもくれてやろう」と言った。

勘九郎は望みのものは何でもと言う頼芸に、「深芳野様を頂戴しとうございます」と答えた。

頼芸は黙ってしまった・・・

勘九郎があおると、頼芸はこの賭けを承諾した。

さらに勘九郎は言う。「このかけに失敗したら、腹を切ります」「成功すれば深芳野様を頂く代わりに、美濃一国をさしあげます」

これに頼芸は座興とはいえ主君の為に命をかけると興奮し、勘九郎に槍を持たせたのだった。

 

深芳野を奪る

 

勘九郎は槍を構えた。

 

頼芸は金縛りにでもあったように硬直し勘九郎の姿を見ている。

 

やがて、勘九郎はするすると動き襖に近づき、大喝して槍を突いた。

 

見事、槍の先が虎の黒い瞳を突いた。

 

これで頼芸は深芳野を手放し、勘九郎は深芳野を手に入れた。

 

この時、深芳野のお腹の中には頼芸の子を宿していたが、勘九郎は知る由もない。

 

天沢履の一つは的中したことになる。

 

天沢履、虎の瞳、深芳野を奪るの章を読み解く-略筮、戦国の労働条件

西村勘九郎が頼芸を占った略筮とは?

 

天沢履~深芳野を奪るの章では、西村勘九郎が土岐頼芸に、略筮(りゃくぜい)で八掛(はつくわ)を出しましょうと言い、50本の筮竹を使って占い、占いの結果は天沢履が出ます。

結局、頼芸は天沢履の結果通り深芳野を勘九郎に奪われることになるのですが・・・

この略筮とはどういったものなの?
略筮とは五十本の竹を削った筮竹を使って占う占筮法の一つで、占筮法には本筮法・中筮法・略筮法の3種があります。本筮法はあまりにも時間がかかりすぎるので、中筮法と略筮法が主に行われているそうです。勘九郎はあまり時間のかからない略筮で頼芸を占ったのでしょうね。占筮法で50本の筮竹を使っていますが、この50という数字には意味があって、陽を天とした数、偶数を陰とした数に地の数を足した合計が50ということです。
頼芸の占い結果、天沢履とは?
占い結果の天沢履とは、「虎の尾をふむ 人を喰らわず とおる」という意で、危険な状態にあるけれど、なんとかその危険は避ける事ができるとういう意味です。その危険を避けるには自分から事を起こさずに他者の言うことに従って動けば叶うとあります。頼芸は他者を勘九郎と思い勘九郎のいうことに従えば先人の後を継いで守護になれると判断したのでしょうね。あと、この天沢履には、移り気な女性という意もあるようです。深芳野の場合は強引に勘九郎が奪ったのですが、深芳野も嫌とは言っていないので、気持ちは勘九郎に移ったのでしょうね。

戦国時代の日本の労働条件

 

虎の瞳の章で、最近雇った耳次というものが登場してきますが、司馬さんは、この耳次を紹介して戦国時代の労働に対する評価が海外よりも低いということをその時代の海外から日本に来た人の言葉を使って説明しています。

耳次は架空の人物でしょうが物語でのこの男の設定は、年齢は25,6歳、美濃の隣国飛騨の生まれで、勘九郎が自分の屋敷の庭番として雇い入れている。従順で欲がなく聴覚に優れ足が速いというのが雇い入れた理由だ。

耳次を物語に登場させ司馬さんは戦国の労働条件を下記のように説明している。

 この時代、日本人の労働力がヨーロッパ社会にくらべておどろくほど安いことを、すこし後に来た宣教師たちが故国へトピックスとして書き送っている。米さえあれば城でも建つ国である。
武士の家には米がある。それを与える、といえば百姓の二男、三男などはいくらでも傭えた。心得のある武士は、そういう者を選びぬいて手飼いの郎党に仕立ててゆくものであった。後に大名になった秀吉の手飼いの郎党福島正則や加藤清正はこういう下人あがりである。

(国盗り物語 斎藤道三 前編 虎の瞳 より引用)

耳次も農家の二男か三男で西村勘九郎に米で傭われてたのでしょう。福島正則や加藤清正のような武将に成長するかは物語を読み進めてみないと解りませんが。

それにしても、宣教師が故国に送っているトピックスまで物語に入れて込んで読者に紹介するあたりはさすが司馬さんです。

今みたいに建設会社があってそこに発注するなんんてことはこの時代の日本にはなかったのでしょう。宮大工とか穴太衆と呼ばれる石積み集団等の職業集団はいたようですけどそれだけを生業として生活できるような時代ではなかったんですね。

戦国時代の労働の対価は米だったんですね。その土地の主が城を建てるとなると農家の人達はかりだされるけど労働に対して金銭が支払われることはなく、食事付きの労働だったんですね。

その中でお気に入りの人物がいれば米だけ与え、そのまま主に仕えた。この時代はお米を食べれるだけでありがたい時代だったということですね。

 

国盗り物語 斎藤道三 前編

開運の夜 後の斎藤道三、松波庄九郎は妙覚寺を飛び出したが、乞食に成り下がっている・・・
奈良屋のお万阿 庄九郎は、青烏帽子の源八を討ったといって奈良屋を訪れるが・・・
運さだめ 奈良屋の護衛隊長になった庄九郎、荷駄を備前まで運ぶのだが・・・
小宰相 庄九郎は有年備中守の館に火を放とうとするがそこである女と遭遇するのであった・・・
京へ帰る 荏胡麻の買い付けをしながらも庄九郎は備前一国を盗れないだろうかと形勢を調べる。
淫楽~兵法者 奈良屋の主お万阿は松波庄九郎に会いに有馬温泉を訪れる。
お万阿悩乱~奈良屋の主人 庄九郎はついに万阿を抱き、奈良屋の主人になったのだが・・・
奈良屋消滅~美濃へ 庄九郎は名実ともに奈良屋を盗り、そこから一国を盗るべく美濃へ出立する。
常在寺~朱唇 庄九郎は美濃国に入り、常在寺の日護上人と兄の長井利隆に会う。
深芳野、西村勘九郎 長井利隆に同行し庄九郎は土岐頼芸に会う。名を西村勘九郎とする。土岐頼芸の愛妾深芳野も登場する。
京の夢、お万阿問答 一旦京の山崎屋に戻った庄九郎。庄九郎とお万阿の掛け合いがコミカルに描かれている。
槍術「一文銭」,槍、 槍 西村勘九郎が法蓮房時代より独学で学んだ槍術で名声を上げようとする。
水馬、林の中で 西村勘九郎はひょんなことから深芳野に接近する・・・
天沢履、虎の瞳、深芳野を奪る 勘九郎は得意の槍を使い頼芸と賭けをする・・・
川手城、火炎剣 土岐頼芸の使いで川手城を訪れる西村勘九郎。帰路で闇討ちにあうが・・・
那那姫 西村勘九郎は守護が住まう城を落とすために東奔西走する。
府城乗っ取り、大狂言 西村勘九郎率いる軍勢が守護・土岐政頼が住まう川手城を乗っ取りに向かう。