司馬遼太郎の『国盗り物語』斎藤道三編を読み解く⑬水馬、林の中で

 

国盗り物語 斎藤道三 前編 水馬、林の中での章では、

 

西村勘九郎がひょんなことから深芳野に接近する様子を描いている。

 

斎藤道三(西村勘九郎)伝説、水馬、深芳野の出身一色家につても記載していますよ。

 

斎藤道三 前編 水馬、林の中で -あらすじ

水馬

 

大永六年(1526)秋

 

西村勘九郎は馬上、供の者を従えて鷺山城へ登城していたが、あまりにも秋晴れが気持ちよかったので、槍だけ持ち供の者は帰らせ、長良川まで馬で駆けた。

 

勘九郎は、馬を川に入れた。馬の足は川底につかなくなったが、勘九郎が槍で川底を突くと馬は浮き泳ぐ。馬は、鼻づらさえ水面に出しておけば泳げるものだ。

 

やがて、対岸の岸についた。

 

濡れた体を乾かそうと勘九郎は、雑木林で枯れ枝を集めに行ったが、そこで深芳野と老女のお国に出くわす。

 

 

深芳野とお国は勘九郎につかまり、3人で焚火にあたる。

 

林の中で

 

焚き火を囲んで、3人で談笑していたが、勘九郎はお国の前で、深芳野を抱き、勘九郎の唇が深芳野の唇に重なった。

 

お国は茫然としている。

 

勘九郎の体から深芳野が離れた瞬間、深芳野は目の前が真っ暗になった。それがどれくらいの時間だったかわからないが、気が付いたときには勘九郎の姿は消えていた。

 

お国はふるえている。

 

 

館に帰り深芳野はお国に、このことは口外しませぬようにとだけ言った。

 

水馬、林の中での章を読み解く-斎藤道三伝説、水馬、深芳野の出身一色家

斎藤道三伝説

 

司馬さんは、水馬の章で西村勘九郎には面白い伝説がると書き始めている。

話の内容はそんなに伝説じみた内容ではないが、斎藤道三伝説の「竹に容れた槍」という話に出てくる草庵(藁・茅などで屋根をふいた粗末で小さい家)を紹介している。

その伝説の内容とは、

ある日土岐頼芸が鷹狩りに出かけた時に、一羽の鷹が小さな草庵の屋外に立てかけている竹の上にとまった。

草庵は台所と一間があるだけの世捨て人が住むような小さな庵だった。この粗末な庵に勘九郎が住んでいると聞き頼芸は驚いた。

頼芸は勘九郎に、「あの竹はなんじゃ」と聞くと勘九郎は「あれは槍でございます」と答えた。

それは、竹の槍でなく、竹の節をくりぬいてそれに槍を差し入れていたのだ。

通常、槍は屋内で保管するのだが、勘九郎の庵は槍を屋内に保管するような広さはないので、雨露のかからないように竹をカバー代わりに使っていたのだ。

特に伝説めいた話ではないが、この出来事は、この時代の人々も信じていたようだ。

 

国盗り物語では、勘九郎は西村の名跡を継いだ時に、本巣郡軽海村(もとすのこおりかるみむら)現在の本巣市軽海にあるわずかな所領と、旧邸を継いだが、勘九郎はその古屋敷に住もうとしない。

そこで、土岐頼芸は鷺山城下の近くの土地を勘九郎に与えた。勘九郎はその土地に桃や栗、梅など実のなる樹を植え、林間に郎党を住まわせる長屋を造り自分もそこに住んだ。

実のなる樹を植えたのは、実を売って知行地本巣郡軽海村の百姓に、税のほうびにわけあたえるつもりでござる。と、書いてある。

水馬

 

水馬の章では、勘九郎が馬上長良川に入り槍を川底に突きながら、馬を泳がせて反対岸に渡るという場面があるが、

司馬さんは、源平時代の坂東武者がこれをやっていたという説があると書き、源平の頃は槍でなく薙刀を使っていたとしている。

斎藤道三伝説の「竹に容れた槍」もそうですが、物語の中にこういった説を入れてくるのが司馬小説の、ワクワクするところですね。

 

戦の無い、江戸時代になると水馬は江戸幕府の年中行事のひとつとなり、 馬川渡、馬渡とも言って隅田川すじで行われていました。将軍の上覧があるときはこれを「水馬上覧」といい、これは享保20年(1735)8代将軍徳川吉宗の上覧にはじまったという。

旧日本軍の騎兵科の教練にも水馬がおこなわれ、水中騎兵練習として重視されていた。

深芳野の出身一色家とは?

 

水馬、林の中での章では、西村勘九郎がひょんなことから深芳野に接近する様子が描かれています。

司馬さんは、深芳野が何故一色家から土岐家に嫁がれてきた理由と一色家について書いています。

一色家について、

一色家というのは、武門では日本有数の名族である。
その祖一色太郎入道道猷は足利尊氏の縁族で、尊氏が天下をとるや、九州探題になり、その後、足利幕府の四職の一つとして室町幕府を通じて栄えた。
-(略)-
が、なにぶんにも旧家だから、武門としての勢威は、この美濃の土岐家と同様だいぶ落ちている。

(国盗り物語 斎藤道三 前編 林の中の章 より引用)

九州探題とは室町幕府の軍事的出先機関のことで、当初は鎮西管領(ちんぜいかんれい)とも称された。

後醍醐天皇の建武の新政から離反した足利尊氏が京都奪還に失敗して九州へ落ち延び、少弐氏と共に多々良浜の戦いで宮方の菊池氏らを破り、東上した際に一色太郎入道道猷を大宰府に残したのが始まりとされる。

足利幕府の四職とは、室町幕府の軍事指揮と京都市中の警察・徴税等を司る侍所の長官(人、所司)に交代で任じられた守護大名の赤松氏一色氏京極氏山名氏の4氏を指して「四職」と称する。

一色太郎入道道猷は九州探題として九州に地盤を築けず任務に失敗したが、次男の範光は室町幕府の信任を得て三河国・若狭国の守護と侍所所司に任じられ、守護大名・四職として幕府の政務に携わる元を築いたとされる。

足利幕府の四職を務めた由緒ある一色家の深芳野はどんな理由で、土岐家に嫁いだのでしょうか?

司馬さんは、深芳野が嫁いだ理由について以下のように書いています。

当主が、よくない。深芳野の父一色左京大夫義幸など、深芳野が四十二の厄年子だから家にたたるというので、姉を土岐頼芸に輿入れさせたついでに、妹の深芳野も、妾として呉れてやった、というような迷信のもちぬしである。
旧家というのは、迷信の因習が累積してそのあくのなかで人が育つ。ろくな者ができるはずがない。

(国盗り物語 斎藤道三 前編 林の中の章 より引用)

ろくな者ができるはずがないとは、司馬さんにしては厳しめの言葉ですが、深芳野に対しては二百年の名家のみが生み出すことのできる気品を持った女性であると、褒めたたえています。

司馬さんもよっぽど深芳野にほれこんでいたようですね。

 

又、深芳野の父は一色義清という説もありますが詳細は不明です。義幸と義清は兄弟という説もあるが、二人とも生没年が不明のためこれも謎です。

ですが、深芳野の産んだ斎藤義龍は後々一色性を名乗っています。

国盗り物語 斎藤道三 前編

開運の夜 後の斎藤道三、松波庄九郎は妙覚寺を飛び出したが、乞食に成り下がっている・・・
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運さだめ 奈良屋の護衛隊長になった庄九郎、荷駄を備前まで運ぶのだが・・・
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京へ帰る 荏胡麻の買い付けをしながらも庄九郎は備前一国を盗れないだろうかと形勢を調べる。
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お万阿悩乱~奈良屋の主人 庄九郎はついに万阿を抱き、奈良屋の主人になったのだが・・・
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深芳野、西村勘九郎 長井利隆に同行し庄九郎は土岐頼芸に会う。名を西村勘九郎とする。土岐頼芸の愛妾深芳野も登場する。
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槍術「一文銭」,槍、 槍 西村勘九郎が法蓮房時代より独学で学んだ槍術で名声を上げようとする。
水馬、林の中で 西村勘九郎はひょんなことから深芳野に接近する・・・
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川手城、火炎剣 土岐頼芸の使いで川手城を訪れる西村勘九郎。帰路で闇討ちにあうが・・・
那那姫 西村勘九郎は守護が住まう城を落とすために東奔西走する。
府城乗っ取り、大狂言 西村勘九郎率いる軍勢が守護・土岐政頼が住まう川手城を乗っ取りに向かう。