【大河ドラマ】信長包囲網が崩壊将軍義昭の願い虚しく、麒麟がくる37話

甲斐の武田信玄が京に向け進軍し始めたが急に引き返した

 

将軍・義昭が信長に捕らえられる

 

そして、朝倉家の家臣が寝返った・・・

 

信長はあるものを所望したいと朝廷に突きつける

 

 

(本能寺の変まで 8年)

 

  1.  宇治 槙島城 : 義昭捕縛される
  2.  山城 伏見城 : 三渕投降する
  3.  宇治 枇杷庄 : 義昭、駒との再会
  4.  近江、越前 : 朝倉浅井家滅亡
  5.  京 妙覚寺 : 信長、蘭奢待を見たいと思う
  6.  東大寺正倉院、多聞山城 : 信長、蘭奢待を切り取る
  7.  近江 坂本城 : 三渕、預けられる

 

元亀4年(1573)3月

将軍足利義昭(滝藤賢一)は織田信長(染谷将太)に対して討伐の兵を挙げた。

義昭の意をくんだ甲斐の武田信玄(石橋凌)は三方ヶ原で徳川・織田連合軍を討ち三河に進行していた。

しかし、武田軍は突如兵を引き返した。

 

① 宇治 槙島城

義昭は宇治の槙島城に陣を構えた。

義昭はいらだっている。朝倉浅井軍も武田軍も信長を倒すと声明した義昭の元には現れなかったからだ。

そしてついに信長の命により捕らえられてしまった。

 

② 山城 伏見城

義昭とともに戦った三渕藤英(谷原章介)も投降した。三渕の弟・細川藤孝(眞島秀和)は信長側についたのだった。

弟の藤孝が裏切ったことに三渕は激昂するが、藤孝は時の流れを読んだのだという。

信長は将軍の命まではとることはせず義昭を宇治の南・枇杷庄に移していた。

 

③宇治 枇杷庄

駒(門脇麦)が義昭のもとを訪ねてきた。

義昭は今一度立ち上がろうと上杉、朝倉浅井、武田、毛利に書状を書いていた。

戦のない世を望んでいるのに戦を起こそうとする義昭に駒は涙する…

 

天正元年(1573)8月

④近江、越前

元号が改まった8月、浅井家の重臣が寝返ったという大きな知らせが入った。

信長はすぐさま近江に出陣した。

同じころ朝倉義景(ユースケ・サンタマリア)も越前から出陣、信長は再び朝倉浅井軍と対決した。

織田軍の奇襲により朝倉家家老・山崎吉家(榎木孝明)は討死。

勢いを増す織田軍は義景の本拠一乗谷へも突き進み火をかけた。

そしてあろうことか、義景のいとこ・朝倉景鏡(手塚とおる)が織田方に寝返ったのである。

越前の朝倉義景は散った。

信長は小谷城を攻め落とし近江の浅井家も滅ぼした。

 

⑤京 妙覚寺

240年続いた室町幕府はついに倒れた。

群雄が割拠した乱世は信長による新しい時代を迎えようとしていた。

浅井朝倉が滅亡し将軍もいなくなりそれまで敵対していた松永久秀(吉田剛太郎)が信長に許しを乞うて来ていた。

信長は多聞山城を明け渡すことを条件に許すことにした。

そして信長は天下一の銘香と名高い伽羅の香木『蘭奢待』を見たいと、過去に将軍しか見ていない蘭奢待を見るに値するのでは問う。

光秀(長谷川博己)はまだ道半ばで見るには早すぎると言うが今井宗久(陣内孝則)は蘭奢待を見て自分の値打ちを知りたいのだろうと言う。

 

天正2年(1574)3月28日

⑥東大寺 正倉院、多聞山城

東大寺正倉院の扉が開かれた。古きより伝わる香木の蘭奢待が110年ぶりに運び出されたのである。

過去に足利将軍家の3代義満、6代義教、8代義政が切り取った跡が紹介される。

110年ぶりに信長は蘭奢待を切り取るのである。これで信長は歴代将軍と肩を並べたことになる。

切り取った蘭奢待を一つ信長は帝に送ったが、帝はその蘭奢待を信長と敵対する毛利に送らせたのである。

 

⑦近江 坂本城

同じ頃、信長に加勢していた三渕は坂本城に急遽預けられていた。

三渕は信長に投降してからは織田家の戦に参戦して力添えしていたが、信長の命で三渕の居城は取り壊されていたのである。

(つづく)

 

織田信長が切取った『蘭奢待』とは?

 

ドラマでは朝倉浅井を破り、反旗を翻した将軍・足利義昭を捕らえた信長が朝廷に所望したいと言った蘭奢待とはどんなものなのでしょうか?

過去の将軍が切取った蘭奢待

蘭奢待(出典Wikipedia

蘭奢待は東南アジアで産出される沈香と呼ばれる高級香木です。

日本には聖武天皇の代(724–749)に中国から渡来したと伝わりますが、実際の渡来は10世紀以降とする説が有力です。

一説には『日本書紀』や聖徳太子伝暦の推古天皇3年(595年)記述という説もあります。

ドラマにも出ていましたが正倉院に納められており、これまで足利義満足利義教足利義政土岐頼武織田信長明治天皇らが切り取っています。

徳川家康は、切り取ると不幸があるという言い伝えに基づき切り取りは行わなかったと伝わってます。

平成18年(2006)に大阪大学の米田該典准教授の調査により、38か所の切り取り跡があることが判明しています。切り口の濃淡から切り取られた時代にかなりの幅があり、同じ場所から切り取られることもあるため、これまで50回以上は切り取られたとのではないかと推定されています。

権力者以外にも採取された東南アジアの人や日本への移送時に手にした人たち、東大寺の関係者などによって切り取られたものではないかと推測されています。

 

信長公記に書かれてある蘭奢待切取り

信長旧臣の太田牛一が書き綴っている織田信長の一代記『信長公記』にも蘭奢待の切り取りが書かれています。

どのように書かれているのか見てみましょう。

信長が蘭奢待を頂戴したいと宮中に申し出たところ、3月26日に勅使が綸旨(天皇の命令)を伝達した。

翌日の3月27日に信長は奈良の多門の城城へ出向いた。信長の特使が東大寺へ赴いた。

3月28日に蔵が開かれた。その名香は長さ六尺(約1.8m)の長持ちに収められていた。これを多門の城へ運び信長に見せた。

信長は先例にならって蘭奢待を一寸八分(約5.5㎝)切り取らせた。お供の者は「後々の話の種に見ておくがよい」と言われて見せてもらった。

代々の将軍の中にこれを所望したいものが何人もいたが特別なことゆえ許可されなかった。

と書かれてあります。

 

信長がこの蘭奢待を切り取りできたのは特別なことだったのですね。

でも、家康は不吉なことが起こるかもしれないと蘭奢待の切り取りは行っていません。もし信長がこの蘭奢待を切り取っていなければ本能寺の変もおこっていなかったのでは?と思うのは私だけでしょうか…

麒麟がくる紀行-槇島城跡(推定地)、枇杷庄天満宮社

 

槇島城跡(推定地):京都府宇治市

かつて、宇治川が流れ込んでいた巨椋(おぐら)池、その中の島に築かれていたのが槇島城でした。

知っ得!
・城主の真木島昭光は、足利義昭の側近で、偏諱を受けて昭光と名乗っています。
・義昭が毛利家を頼って備後・鞆の浦に行きますが、従っていた真木島は幕臣の筆頭となっています。

 

枇杷庄天満宮社:京都府城陽市

槇島城から敗走する義昭が枇杷庄にたどり着きました。

知っ得!
・天満宮社から西側の住宅一帯に枇杷庄城が築かれていたとされ、義昭が一時この城に入っていました。

 

槇島城跡~枇杷庄天満宮社マップ

義昭は槇島城から敗走し枇杷庄天満宮社近くにあった枇杷庄城にたどり着いています。

徒歩で約2時間ですね。

(googleマップ使用)

 

23話~最終話

23話 義輝、夏の終わりに 義輝の文を手に光秀は信長のもとに向かったが・・・
24話 将軍の器 将軍・義輝が殺害される。
25話 羽運ぶ蟻(あり) 覚慶は還俗し足利義昭を名乗る。
26話 三淵の奸計(かんけい) 上洛を決めた義景だったが・・・
27話 宗久の約束 信長、義昭を将軍として京へ上洛。
28話 摂津晴門の計略 横領の疑いをかけられた光秀は摂津を問い質す・・・
29話 摂津晴門の計略 光秀に横領の疑いがかけられる・・・
30話 朝倉義景を討て 信長は帝・正親天皇に拝謁する。
31話 逃げよ信長 味方のはずの浅井軍に動きが、信長に最大の危機が襲う。
32話 反撃の二百挺 いざ姉川の戦い!
33話 比叡山に棲(す)む魔物 織田軍、比叡山を攻撃
34話 焼き討ちの代償 摂津は義昭に信長と手を切るよう進言する。
35話 義昭、まよいの中で 光秀暗殺計画が持ち上がる…
36話 訣別(けつべつ) ついに武田信玄が動き出す…
37話 信長公と蘭奢待(らんじゃたい) 武田信玄が急に引き返した…
38話 丹波攻略 光秀は丹波攻略を言い渡される
39話 本願寺を叩け 信長は5年に渡り本願寺を攻める
40話 松永久秀の平蜘蛛(ひらぐも) 逃亡した久秀は本願寺側につくと言い出す…
41話 月にのほる者 光秀は帝よりお言葉を賜る
42話 離れゆく心 光秀は鞆の浦へ義昭に会いに行く
43話 闇に光る樹 光秀は夜な夜な月に伸びる機の夢をみるようになった…
44話 本能寺の変 ついに日本史を揺るがしたこの日が来た