【大河ドラマ】義昭か信長か光秀に訣別の時が訪れる、麒麟がくる36話

光秀は内裏にて帝よりお言葉を賜る

 

大和の国では松永久秀と筒井順慶の争いが続いている

 

そして、ついに甲斐の武田信玄が京に向け進軍し始めた

 

光秀は幕府と信長どちらにつくのか・・・

 

 

(本能寺の変まで 9年)

 

  1.  京 内裏 : 光秀、帝よりお言葉を賜る
  2.  光秀の館 : 大和の戦について
  3.  岐阜城 : 信長、光秀に鳥を託す
  4.  二条城 : 光秀、決断する

 

元亀3年(1572)冬

①京 内裏

三条西家のお供で光秀は内裏に向かった。

帝(坂東玉三郎)が歌を詠む

水を渡り また水を渡り 花を看 還た花を看る 春風 江上の路 家に到る

歌の説明を三条西実澄(石橋蓮司)がする

春風吹く中、川を渡り水を見、頭上の花を見ながらいつの間にか友の家についていた。人は水の中や花を見るとき無心に時を過ごす。

帝はいつの世もそうでありたいと願う。

そして帝は、迷わずにこの歌のような世になるようにと外で待機している光秀に声をかかられた。

 

② 光秀の館

近江より柴田勝家(安藤政信)と佐久間信盛(金子ノブアキ)、木下藤吉郎(佐々木蔵之介)が訪れている。

大和の国は松永久秀(吉田剛太郎)と筒井順慶(駿河太郎)の争いが広がり河内の国まで飛び火しているので光秀にも出陣するようにとの御達しがあっていた。

松永を討つようにと公方様(滝藤賢一)の命により信長は出陣の命を下していたが、公方様は朝倉とつながっており織田軍が大和に攻めている間、朝倉浅井軍を動かし信長を討つ魂胆なのだ。

元亀二年から元亀三年にかけて大和の松永久秀は筒井順慶ら近隣の幕府方と戦を繰り広げていた。その松永に対し足利義昭と幕府は鎮圧に乗り出そうとしていた。

 


 

幕府と織田の連合軍が河内の国に向けて出陣した。松永久秀と松永に急接近してきた三好の一党を討つための大がかりな出陣であった。

しかし織田信長はこの戦に加わらず河内に攻め込んだ連合軍も松永久秀を取り逃がし戦を終えた。

信長の動きが鈍くなり公方様との足並みにも乱れが出てきた。義昭は甲斐の武田信玄(石橋凌)に上洛し織田を倒すようにと再三文を送っていた。

元亀3年(1572)10月に武田信玄は京に向かって進撃を開始した。

 


③ 岐阜城

光秀は坂本より岐阜城の信長を訪れていた。坂本から1日で来れると信長は光秀を重宝している。

信長は義昭との関係を少し反省したのか、公方様のご機嫌取りに鳥を渡してほしいと光秀に頼んだ。

そこに知らせが入る。三方ヶ原で徳川と織田家の援軍が武田軍に大敗したと。信長と光秀に緊張が走る...

 

④ 二条城

光秀は公方様に信長から託された鳥を持参した。

だが、時が遅すぎた。義昭は信長が示した17か条の意見書に対して激しく憤慨していた。

その中には帝への配慮が足りないや将軍の立場を利用し金銀をため込んでまことに評判が悪いので正すようになどと書かれていた。

義昭は信長に対して思うところがあったがついに我慢の限界に達したのだ。

武田信玄も徳川・織田軍を叩き上洛してきている。朝倉浅井軍が動き信長を挟み撃ちする手はずになっているというのだ。

そして、光秀に信長のもとを離れて戦うようにと諭す。

だが光秀は涙をこらえて「それは出来ません」と言い残し二条城を後にした。

 

元亀4年(1573)3月

将軍・足利義昭は機内の大名を集めて織田信長に対して兵を挙げたのだった・・・

(つづく)

足利義昭が憤慨した「十七カ条の意見書」とは?

 

ドラマでは公方様のご機嫌を取るために信長より鳥を託された光秀が二条城に持参するのですが、義昭は17か条の意見書に憤慨して信長を攻めることを決意していましたが、この17条の意見書とはいったいどんなものだったのでしょうか?

17か条の意見書 内容(ざっくりと)

  • 1か条-宮中への参内が怠っているのは遺憾
  • 2か条-諸国の大名に内密で直接に指示するのはよくない。
  • 3か条-恩賞の与えかたがよくない。
  • 4か条-御所から重宝類をよそへ移すのはよくない。
  • 5か条-寺社領を没収するのはよくない。
  • 6か条-信長に対して友好的な関係にある者に不当な扱いをしているのはよくない。
  • 7か条-信長から将軍に奉公衆らの扶持の件を伝えたが、誰一人加給されていない。
  • 8か条-粟屋孫八郎が訴訟を起こし信長が取り持って将軍に進言したのに、今に至ってまだ決裁されていない。
  • 9か条-小泉の件は一般的法規どおりに処置されるのが正しい。没収までするのはおかしい。
  • 10か条-元亀の年号は不吉だから改元したほうが良いと進言しているのに、怠るのはよくない。
  • 11か条-烏丸光康を懲戒された件で、光康から金銭を受け取って出仕をお許しになったそうで嘆かわしい。
  • 12か条-諸国から金銀の献上があるのに内密に蓄えて宮中の御用にも役立てないのは何のためか。
  • 13か条-明智光秀が地子銭を徴収し買い物の代金としたのに土地は延暦寺の領だと言いがかりをつけて差し押さえたのは不当だ。
  • 14か条-幕府に蓄えてある米を売却して金銀に換えたことに驚いている。
  • 15か条-寝所に呼び寄せた若衆に代官職に任命したりするのは世間から悪評が立っても仕方ない。
  • 16か条-幕臣たちは武具・兵糧などには気を配らずに、もっぱら金銀を蓄えているのはよくない。
  • 17か条-世間では百姓さえもが「悪しき御所」と呼んでいる。このような陰口を言われるかよく考えたほうが良い。

 

17か条の意見書に書かれてある内容を1か条から17か条までざっくりと並べてみましたけどいかがでしょうか?

結構細かいところにまで踏み込んで書かれていることがわかりますね。

ドラマでは義昭を演じる滝藤賢一さんが最大限に怒りを表現した迫真の演技をしていましたが、この文を見れば誰でも怒り狂うでしょう。

現代のようにネットワークや電話もない時代ですから京にいる義昭と岐阜にいる信長はこまめなコミュニケーションをとることができずにお互いの意見が合わなくなってきたのでしょう。ましてやいつの時代もそうですけど権力を持つようになると自分の思うように何でもなると、よこしまな考えが芽生えてきます。

信長も義昭には何度か注意をしているのですがたまりにたまったものがこの17か条の意見書なのですね。

麒麟がくる紀行-坂本城跡

 

坂本城跡

延暦寺の監視と京へ通じる水陸交通の拠点として築かれる。琵琶湖の水を引き入れた城郭には大小二つの天守があったといいます。宣教師のルイス・フロイスは、信長の安土城に次ぐ豪壮華麗な城だと書き残しています。

渇水時に石垣が現れ、沈下を防ぐための胴木が入れられていたこともわかりました。

聖衆来迎寺の表門は坂本城の櫓門が移築されたものだと考えられています。

知っ得!
・大天主,小天主で構成される高層の天主を中心に城と内堀で囲まれた主郭があり、その西側に中堀で囲まれた曲輪、さらにそれを取り巻くように外堀で囲まれた曲輪があったと考えられる。
坂本城の推定城郭部分(出典:Wikipedia

マップ

(googleマップ使用)

23話~最終話

23話 義輝、夏の終わりに 義輝の文を手に光秀は信長のもとに向かったが・・・
24話 将軍の器 将軍・義輝が殺害される。
25話 羽運ぶ蟻(あり) 覚慶は還俗し足利義昭を名乗る。
26話 三淵の奸計(かんけい) 上洛を決めた義景だったが・・・
27話 宗久の約束 信長、義昭を将軍として京へ上洛。
28話 摂津晴門の計略 横領の疑いをかけられた光秀は摂津を問い質す・・・
29話 摂津晴門の計略 光秀に横領の疑いがかけられる・・・
30話 朝倉義景を討て 信長は帝・正親天皇に拝謁する。
31話 逃げよ信長 味方のはずの浅井軍に動きが、信長に最大の危機が襲う。
32話 反撃の二百挺 いざ姉川の戦い!
33話 比叡山に棲(す)む魔物 織田軍、比叡山を攻撃
34話 焼き討ちの代償 摂津は義昭に信長と手を切るよう進言する。
35話 義昭、まよいの中で 光秀暗殺計画が持ち上がる…
36話 訣別(けつべつ) ついに武田信玄が動き出す…
37話 信長公と蘭奢待(らんじゃたい) 武田信玄が急に引き返した…
38話 丹波攻略 光秀は丹波攻略を言い渡される
39話 本願寺を叩け 信長は5年に渡り本願寺を攻める
40話 松永久秀の平蜘蛛(ひらぐも) 逃亡した久秀は本願寺側につくと言い出す…
41話 月にのほる者 光秀は帝よりお言葉を賜る
42話 離れゆく心 光秀は鞆の浦へ義昭に会いに行く
43話 闇に光る樹 光秀は夜な夜な月に伸びる機の夢をみるようになった…
44話 本能寺の変 ついに日本史を揺るがしたこの日が来た