【大河ドラマ】八方塞の織田信長が取った行動とは?麒麟がくる33話

光秀は単身で比叡山に乗り込み天台座主・覚恕に会うが、

 

幕府政所の摂津が覚恕と内通をしている。

 

帝の勅命により織田と朝倉・浅井は和睦をするのだが、

 

信長はついに比叡山延暦寺攻めを決断する・・・

 

 

(本能寺の変まで 11年)

 

あらすじ-主な場面展開、ネタバレ

 

  1.  近江 宇佐山城 : 信長軍軍議
  2.  比叡山 : 光秀、天台座主・覚恕と面会
  3.  尾張 小木江城 : 織田信興討たれる
  4.  近江 宇佐山城 : 信長に文が届く
  5.  近江 三井寺 : 信長、朝倉・浅井と和睦する
  6.  二条城 : 松永久秀激怒
  7.  比叡山 : 信長軍攻撃

 

元亀元年(1570)11月

朝倉義景(ユースケ・サンタマリア)と浅井長政(金井浩人)は信長(染谷将太)を討つために延暦寺の助けを得て比叡山に陣を敷いた。

さらに西には三好一族と本願寺、南には六角氏と一向宗に囲まれ信長は孤立し窮地に立たされていた。

 

① 近江 宇佐山城

比叡山に陣を敷いて動かない朝倉・浅井軍。このままでは背後を三好や六角に攻められると信長はイライラしていた。

「比叡山に攻めるほかない」

と言う信長に対して家臣一同乗り気ではない。神仏に弓引くことなどできないのだ。

光秀(長谷川博己)はこの状況を打開したく単身で比叡山に上ることにした。

 

② 比叡山

光秀は比叡山にて朝倉義景と会うことができた。そして、天台座主・覚恕(春風亭小朝)と面会した。

京には比叡山が何百年もかけて手に入れた領地や神社があるが、信長がそれを奪ったことを覚恕はよく思っていない。

それに義景は比叡山に陣を敷いた以上は覚恕をないがしろにはできないのだ。

金の亡者となってしまっている覚恕を目の当たりにした光秀は言葉を発することもなかった・・・

 

③ 尾張 小木江城

信長と朝倉・浅井軍の戦が比叡山で膠着状態であるのをみて、反信長の勢力は信長への包囲網を一気に狭めてきた。

伊勢長島の一向宗門徒は本願寺の命を受けて尾張の小木江城に攻め込み信長の弟・織田信興を討った。

事態は切迫した。信長は退路を断たれてしまったのだ。

 

④ 近江 宇佐山城

信長に一通の文が届いた。その文にいは幕府政所・摂津晴門(片岡鶴太郎)が天台座主・覚恕と内通していると書かれていた。

将軍・足利義昭は比叡山に和睦を進めていたのだが、幕府の摂津がそれを止めていたのだ。

窮地に追い込められた信長は和睦の話を帝にお願いできないものかと思案した・・・

 

元亀元年(1570)12月

⑤ 近江 三井寺

正親町天皇(坂東玉三郎)は二条晴良(小籔千豊)を近江に向かわせ、織田、朝倉・浅井ならびに延暦寺に和睦を促す勅命を伝えた。

織田信長が延暦寺や朝倉・浅井の要望を飲むという条件のもとに双方は陣を引き払った。

 

⑥ 二条城

京につかの間の平安が訪れた。

筒井順慶(駿河太郎)が公方様の養女を娶ることになり二条城では祝いの宴がもようされた。この席に松永久秀(吉田剛太郎)が招かれていた。

祝いの席と聞かされず招かれた久秀は激怒する。こうなることを予想して摂津が久秀を招待したのだ。

笑いものにされたと久秀は順慶に対する闘争心が沸き起こり、幕府を離れ順慶と戦うことを決断した。

 

元亀二年(1571)秋

⑦ 比叡山

信長は伊勢の一向一揆軍と戦った後、再び比叡山の麓に兵を結集させた。朝倉・浅井の背後にいる比叡山の勢力を討つためであった。

都を蝕む諸悪の根源である比叡山を叩きのめすために結集されたのだ。

織田軍の急襲を受け比叡山延暦寺は修羅場と化した。

信長の命令は女子供も切り殺せとのことだったが、光秀は戦場にて逃がすように命じたのだった。

 

『信長公記』と史料調査から見えてくる比叡山の焼き討ち

 

『信長公記』に書かれている比叡山焼き討ち

元亀元年(1570)に信長は延暦寺の僧衆を呼び寄せて織田軍に味方をするか中立の立場を取るようにと申し聞かせ、もしこれを破れば比叡山をことごとく焼き払うと言明した。

比叡山の僧衆は仏道の修行もせず道を外れて色欲・金銀の欲に溺れて朝倉・浅井に加担をし勝手気ままなふるまいをしていた。

けれども信長はひとまずは遠慮をして兵を収めた。

 

元亀二年(1571)9月12日、ついにその時が来た。

織田軍は比叡山を攻撃し、根本中堂をはじめ一棟も残さずに焼き払った。

老若男女は右往左往して逃げまどった。織田軍の兵は僧・児童などすべての首を切った。女・小童も多数捕らえ信長の前に引き出した。命乞いをする者もいたが一人残らず首を落とされ、数千体の死体が転がるありさまだった。

信長は志賀郡を明智光秀に与え、光秀は坂本に居城を構えたのである。

 

比叡山での焼き討ちはあったのか?

『信長公記』には比叡山の堂のほとんどを焼き払ったとあるが、近年ではこれに疑問視する見解も示されている。

滋賀県教育員会が発表をしている発掘調査の結果によれば比叡山では焼き討ちを物語る焦土層が一切発見されていないという。

また、発掘調査を行った考古学者は焼き討ちで焼失したとみられるのは根本中堂と大講堂のみで、焼き討ち以前に廃絶していた建物が大半だったと指摘している。

 

光秀は比叡山焼き討ちの中核を担ったのか?

焼き討ちが行われた日、光秀は比叡山山嶺の坂本を通過して北方の仰木谷に入り、そこから延暦寺へと攻め上ったとされる。

この戦にかける光秀の決意が分かる史料が現存している。比叡山東嶺に根ざす土豪・和田秀純に宛てた書状にその一文がしたためられている。

「仰木の事ハ是非ともなでぎりニ仕るべく候」

この一文に書かれているなでぎりとは皆殺しを意味する。教養人光秀らしからぬ言葉だがこの文から光秀は信長に共鳴して比叡山を攻撃したもとと思われる。

 

比叡山攻めは光秀の首謀説?

比叡山の焼き討ちに対して織田軍の諸将は否定的だった。佐久間信盛などは前代未聞の戦だと信長をいさめたと伝わっています。

しかし、光秀はなでぎりと野蛮な言葉を使ってまで土豪にも比叡山攻めを周知させている。信長にも比叡山を攻撃する考えがあったがそれを確実にしたのは光秀であったのはないだろうか、比叡山攻めの後に光秀は滋賀郡を与えられている。

しかも、織田軍の家臣としていち早く坂本城を築城し一国一城の主になったたことからも光秀が比叡山攻めの首謀者だったのではと思わずにはいられないのである。

 

麒麟がくる紀行-比叡山延暦寺、総本山園城寺(三井寺)

 

比叡山延暦寺:滋賀県大津市

最澄によって開かれた天台宗の総本山。根本中堂では最澄がともして以来1200年間燃え続けている「不滅の法灯」が今も燃え続けています。瑠璃講堂は消失を免れ、現存する唯一の建物です。

知っ得!
・比叡山は、法然上人、親鸞聖人、良忍上人、一遍上人、真盛上人、栄西禅師、道元禅師、日蓮聖人など日本仏教の各宗の祖師がここで学び、あるいはここで出家得度しています。

総本山園城寺(三井寺):滋賀県大津市園城寺町

信長は園城寺の境内に陣を置き、焼き討ちの計画を練りました。

知っ得!
・園城寺金堂は比叡山に移され、現在も延暦寺西塔転法輪堂(釈迦堂)として現存している。
・琵琶湖とその水辺景観- 祈りと暮らしの水遺産 の構成文化財として日本遺産に認定されている。

マップ:三井寺~比叡山延暦寺

徒歩で約4時間半です。

(googleマップ使用)

23話~最終話

23話 義輝、夏の終わりに 義輝の文を手に光秀は信長のもとに向かったが・・・
24話 将軍の器 将軍・義輝が殺害される。
25話 羽運ぶ蟻(あり) 覚慶は還俗し足利義昭を名乗る。
26話 三淵の奸計(かんけい) 上洛を決めた義景だったが・・・
27話 宗久の約束 信長、義昭を将軍として京へ上洛。
28話 摂津晴門の計略 横領の疑いをかけられた光秀は摂津を問い質す・・・
29話 摂津晴門の計略 光秀に横領の疑いがかけられる・・・
30話 朝倉義景を討て 信長は帝・正親天皇に拝謁する。
31話 逃げよ信長 味方のはずの浅井軍に動きが、信長に最大の危機が襲う。
32話 反撃の二百挺 いざ姉川の戦い!
33話 比叡山に棲(す)む魔物 織田軍、比叡山を攻撃
34話 焼き討ちの代償 摂津は義昭に信長と手を切るよう進言する。
35話 義昭、まよいの中で 摂津が光秀を狙う・・・
36話 訣別(けつべつ) ついに武田信玄が動き出す…
37話 信長公と蘭奢待(らんじゃたい) 武田信玄が急に引き返した…
38話 丹波攻略 光秀は丹波攻略を言い渡される
39話 本願寺を叩け 信長は5年に渡り本願寺を攻める
40話 松永久秀の平蜘蛛(ひらぐも) 逃亡した久秀は本願寺側につくと言い出す…
41話 月にのほる者 光秀は帝よりお言葉を賜る
42話 離れゆく心 光秀は鞆の浦へ義昭に会いに行く
43話 闇に光る樹 光秀は夜な夜な月に伸びる樹の夢をみるようになった…
44話 本能寺の変 ついに日本史を揺るがしたこの日が来た