【大河ドラマ】織田信長VS今川義元 桶狭間の戦い、麒麟がくる21話

 

日本の歴史が変わったと言っても過言ではないだろう

 

織田信長の名が本格的に日本史に登場するようになった桶狭間の戦い

 

戦国に生きた武将たちの運命の一日が始まる

 

 

あらすじ-ネタバレ

 

 

永禄三年(1560)

駿河の今川義元が尾張に迫ってきた。

義元は大高城に軍を集結させて、信長の居る清州城を一気に叩き潰す作戦を立てた。

5月19日午前4時

織田方丸根砦へ松平元康軍攻撃

午前6時

清州城にいる信長へ丸根砦が攻められたと報告が入る。信長は『敦盛』を舞った。

午前8時

丸根砦・鷲津砦陥落。今川勢勝利

午前9時

信長は丸根砦・鷲津砦が落ちたのをにらみながら善照寺砦へと向かった。同じ頃今川義元は沓掛城を出発し大高城を目指した。

午前9時半

清州城に光秀が到着。帰蝶に挨拶をし善照寺砦へと向かう。

午前10時

善照寺砦にて織田軍、軍議を開く。

午前10時半

松平元康、丸根砦より大高城へ戻る。

午前11時

今川軍は桶狭間にて休息。鷲津砦を堕とした自軍が乱取りをしていることを聞き、野盗と同じゲスのやることだと激高する。

 

午後1時

今川が本軍から兵を割いたことを聞き信長はこれならやれると、桶狭間に向かう。狙うは今川の首ただ一つと家臣を奮い立たせる。信長軍出陣と同時に強い雨がふる。

 


松平元康は、桶狭間へと向かうようにとの命令を無視し、大高城に居座った。

(元康は幼い頃信長に話した今川はいずれ討つべきと思っているという言葉を信長に託した。)


 

織田軍は豪雨の中を桶狭間へと向かう。

 

午後2時

雨も上がり、今川軍はくつろいでいる。そこへ、織田軍が奇襲を仕掛けた。毛利新介が義元の輿を見つけ信長軍は一気に義元に接近する。義元も刀を振り信長の兵を斬りつけ応戦するが、左ひざを槍で刺され片足をつき前のめりになったところを毛利新介が槍を上段で片手に持ち今川義元めがけ、ここ一番のジャンプで勢いをつけ突き刺した。義元を突き刺した直後新介は雄叫び、「毛利新介、今川義元を討ち取ったり!」と桶狭間中に聞こえるように告げた。


 

桶狭間から清州へ戻る帰路、信長は光秀と出くわす。水を飲み、光秀より戦勝祝いの言葉を受ける。

子供の頃より父にも母にも兄弟からも褒められることのなかった信長はその言葉が嬉しかった。

また会おうと去ろうとする信長に光秀は今川を倒し次は何をなされますかと尋ねる。

信長は馬上より沈む夕日を背に、美濃を奪うと答える。

その後は?と光秀は聞くが、信長は何も言わずに清州へと帰って行った。

 

東庵とお駒は駿河を離れ京に戻る。お駒は駿河を離れる前にお灸を病人?に施す。その人から薬の調合を描いた紙を受け取る。

 

光秀は道三の遺言?『大きな国を作るのじゃ』を胸に尾張を去った。麒麟が現れる日がくるその日を思い描きながら・・・

 

(本能寺の変まで 22年)

『信長公記』に書かれている桶狭間の合戦

 

 

永禄三年(1560)五月十七日

今川義元は沓掛城に陣を構えた。

五月十八日夕刻

十八日の夜に佐久間信盛・織田秀敏から今川軍の作戦について信長に報告があった。今川軍は大高城の兵糧を補給し織田方の援軍が来ないうちに十九日の未明に丸根砦、鷲津砦を攻撃してくるという情報だった。

しかし信長は今川が攻撃してくるという情報を握りながら作戦は練らずに家臣を帰えした。これには家臣たちも嘲笑しながら帰った。

五月十九日夜明け方

佐久間信盛・織田秀敏から今川軍から丸根砦、鷲津砦は攻撃を受けていると報告が入った。この時、信長は『敦盛』を舞った。「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。ひとたび生を得て、滅せぬものあるべきか」と歌い舞って、法螺貝を吹かせ、武具を着け、立ったまま食事をとり出陣した。

この時、従った家臣はお小姓衆の岩室長門守・長谷川橋介・佐脇良之・山口飛騨守・加藤弥三郎の五騎。三里を一気に駆けた。

辰の刻(午前八時前後)

上知我麻(かみちかま)神社の前から東の空を見ると、丸根砦、鷲津砦は陥落したらしく煙が上がっていた。この時点で信長勢は騎馬六騎と雑兵二百人ほどであった。

午の刻(正午前後)

今川義元は四万五千の兵を率い、桶狭間山で休息していた。丸根・鷲津砦を攻め落としたことに満足し、謡を三番歌った。

佐々政次・千秋李忠の二将が兵三百ほどを従えて今川勢に突き進んだが、佐々政次・千秋李忠をはじめとして五十騎ほどが討ち死にした。これをみた義元は喜んで悠々と謡を歌った。

 


信長は戦況を見て中島へ移動しょうとしたが、中島への道は両側が深田で踏み込んでしまうと足が取られるし、一騎ずつしか進めないので少数しかいないのが敵に見られると家老衆が信長を制止したが、信長はこれをはねのけて中島へ移動した。この時の信長勢は二千に満たない兵数であった。という。

中島で信長は言った。「今川の兵は夜通し行軍し、疲れている。こっちは新手の兵だ。少数の兵だからといって多数の兵を恐れるな、勝敗の運は天にある。合戦に勝てば家の名誉、末代まで高名であるぞ。ひたすら励め!」

そこへ、前田利家・毛利長秀・毛利十郎・木下嘉俊・中川金右衛門・佐久間弥太郎・森小介・安食弥太郎・魚住隼人が敵の首を取り戻ってきた。

激しいにわか雨が降った。北西を向いて布陣をしている今川軍には顔に降りつけた。信長軍には後方から降りかかった。この幸運な雨に、熱田大明神の神慮によるものかと皆が言った。

空が晴れたのを見て信長は槍をとり「それ、かかれ」と兵を鼓舞した。今川軍はどっと崩れ、義元の朱塗の輿さえ捨てて逃げた。


未の刻(午後二時前後)

今川軍は三百騎ほどが義元を取り囲んでいたが、次第に人数が減り、ついには五十騎ほどになった。服部春安が義元に討ちかかり、膝口を斬りひれ伏す。毛利良勝が義元を切り伏せ首を取った。

後日、これもひとえに、先年、清州の城で守護が攻め殺された時に毛利十郎が幼君を一人保護して助けた。その冥加がここに現れて、義元の首を取らせたのだと人々が噂をした。


 

信長は馬の先へ今川義元の首を掲げさせ、急いで帰陣したのでまだ日のあるうちに清州に到着した。翌日、首実験をした。首は三千ほどあった。

 

清須から二十町南、須賀口の熱田へつながる街道に、信長は義元塚を築かせた。この塚で供養のために千部経を読経させ、卒塔婆(そとば)を立てた。

麒麟がくる紀行-善照寺砦、沓掛城、桶狭間

 

沓掛城

今川義元が桶狭間の合戦前夜過ごした城です。ここで義元は軍評定を開き、大高城への兵糧入れや各武将の部署の再確認を行ったと云われています。

室町時代を通じ、近藤氏が沓掛城主であった。。天文10年(1541)頃より織田信秀の勢力が強くなると、近隣の土豪とともに信秀に追従した。信秀死後は今川義元の傘下に入った。

善照寺砦

織田信長はここから桶狭間へと向かいました。

今川義元の配下になった鳴海城に睨みをきかせるために築かれた砦。砦の建築は孤立した前線基地へ敵勢をおびき寄せる目的もあったとされます。

桶狭間

織田信長と今川義元の合戦の地。信長が少数の軍勢で本陣を奇襲し、今川義元を討ち取る。

桶狭間の合戦は河越城の戦い(北条氏康 対 上杉憲政、上杉朝定、古河公方など)、厳島の戦い(毛利元就 対 陶晴賢)と共に日本三大奇襲に数えられている。

 

善照寺砦、沓掛城、桶狭間 位置関係

(googleマップ活用)

麒麟がくる 1話~20話

 

1話 光秀、西へ 光秀、堺と京を訪れるが・・・
2話 道三の罠 籠城をする道三だったがそれにはある策があった・・・
3話 美濃の国 斎藤道三、土岐頼芸のもとを訪れるが・・・
4話 尾張潜入指令 光秀と菊丸が薬草売りを装い尾張に潜伏するが・・・
5話 伊平次を探せ 光秀、鉄砲職人伊平次を探しに京へ行く。
6話 三好長慶襲撃計画 万里小路家連歌の集いで三好長慶が狙われるが・・・
7話 帰蝶の願い 織田信秀が斎藤利政に和睦を申し入れてきたが、それにはある条件があった・・・
8話   同盟のゆくえ 織田と斎藤の同盟は帰蝶の輿入れが条件だった。帰蝶が取った行動とは・・・
9話 信長の失敗 信長は信秀に祝いの品を差し出すのだが・・・
10話 ひとりぼっちの若君 今川義元は織田家の人質竹千代と織田信広の交換条件を突き付けてきた。
11話 将軍の涙 織田家VS今川家。美濃はどうする。
12話 十兵衛の嫁 光秀は煕子と結婚し、母と叔父の光安も大喜びだった。が、稲葉山城からのろしが上がる・・
13話 帰蝶のはかりごと 道三が信長と対面したいと言ってきたが、信長は乗り気ではない。が、帰蝶は対面を進める。
14話 聖徳寺の会見 斎藤道三と織田信長は聖徳寺で初対面を果たした。
15話 道三、わが父に非(あら)ず 尾張の織田家と美濃の斎藤家で身内同士の暗殺劇が起こる。
16話 大きな国 美濃国内で道三派と高政派に分裂する。明智家が取る道は・・・
17話 長良川の対決 美濃国内長良川において斎藤親子が激突!
18話 越前へ 新天地越前にたどり着いた光秀、道三から託された第二幕が始まる。
19話 信長を暗殺せよ 京で光秀は斎藤義龍と織田信長に再会する・・・
20話 家康への文 いよいよ桶狭間の戦いに向け動き出す!光秀が、信長が、家康がそれぞれの戦いが始まろうとする

 

大河ドラマはU-NEXTで、過去の作品も!