【大河ドラマ】戦国のダークヒーロー松永久秀、信長を救う、麒麟がくる19話

あらすじ-ネタバレ

 

永禄元年(1558)

 

斎藤道三の死から二年後。この年に近江朽木に戦火を逃れていた将軍・足利義輝は三好長慶と和睦し5年ぶりに京に戻った。

 

光秀は越前で録を受けず浪人暮らしをしていた。子供たちに読み書きを教えており、光秀から習うと行儀までよくなると評判になっていた。

 

一乗谷朝倉館に呼ばれた光秀は朝倉義景よりの使者として、京の足利義輝に鷹を献上する役を命じられた。

 

光秀は京で将軍奉公衆の三淵藤英と細川藤孝に再会する。光秀の為に藤孝は朝倉家に口添えの書状を送っていた。

 

京で光秀は意外な二人とも再開する。斎藤高政名を改め斎藤義龍と織田信長だ。

 

義龍が信長の命を狙っていると聞いた光秀は松永久秀の仲介で難を逃れる。

 

京を離れていた将軍の権威は衰え実権を握っているのは松永久秀だった。

 

斎藤義龍はこれより二年後、病でこの世を去る。

吉田剛太郎さん演じる松永久秀とは?

 

19話のタイトルは「信長を暗殺せよ」だったが、その暗殺を阻止したのが吉田剛太郎さん演じる松永久秀でしたね。

光秀に借りがある久秀は光秀に頼まれて動くのですが、暗殺を企てている斎藤義龍の元を訪ねて「京で信長を暗殺しようとする不届き者がいる。そやつの退治に協力願いたい」と圧力をかけるという演出でした。

将軍よりも権力があるとドラマの中でも細川藤孝が言っていましたが、松永久秀とはどんな人だったのでしょうか?

これは幕末に描かれた松永久秀の錦絵ですが、ものすごい形相ですね。獣のような面構えですが吉田剛太郎さんも怒ったらこんな表情になるのでしょうか?

松永弾正久秀像(出典:Wikipedia

 

殺人や裏切りが当たり前といわれた戦国時代に久秀は最大の悪人といわれていました。この絵は悪人をイメージして描かれているのでしょう。

久秀の悪行は時の将軍足利義輝を殺害するという恐るべきことや、奈良東大寺の大仏殿を焼いてしまう。そして、織田信長への二度の謀反である。

一方で久秀は茶人としても知られ最高級の茶器をいくつも所持していた。城内では千利休を招いた茶会が何回も模様され、超一級の文化サロンを主催する教養人だった。

悪逆非道の顔と一流文化人の顔を持つ久秀とはどんな人だったのか?

久秀はで出自も経歴も謎だが、武将だけでなく訴訟の取次などに当たり行政面でも辣腕をふるっていた。永禄三年(1560)には朝廷より弾正少弼の位をもらい、翌年には従四位下の位に進みさらに主君三好長慶とともに足利家と同じ桐紋の使用を許されている。

当時日本を訪れていた宣教師ルイスフロイスは久秀について、高い身分ではないが、その知力と手腕によって家臣でもあるにもかかわらず将軍と三好長慶を掌握していたと書かれている。

永禄4年(1561)に久秀は大和に多聞城を築く。この城を訪れたポルトガル人は、これだけのすぐれた建造物は世界にもない、すべての建物の壁に漆喰が施されかつて見たことのないほど白く輝いていたこの中を歩いているとまるで天国にいるようだと評している。

この城を一目見ようと奈良中の人々が見物に集まったと云われている。久秀はこれからは武士の時代がくるのだということをこの城で知らしめたのだ。よく城郭建築で多聞櫓といわれるが、この多聞城に築かれた櫓が語源とされている。

そして、後の天守に相当する4階建ての櫓が城内に建っていたという記録があり、御殿の中は障壁画で飾られていたとう記録もある。後の安土城の先をゆくお城を久秀は築城していた。時代の最先端をゆく人だったということがわかる。

しかし、永禄七年(1564)に主君・三好長慶が亡くなると将軍・足利義輝が実権を取り戻そうと動き出すが、永禄八年(1565)に長慶の後を継いだ三好義継、久秀の息子・久通は将軍義輝を亡き者にした。その首謀者が久秀と云われている。

だが、永禄十年(1567)久秀と対立する三好家が奈良で久秀と対峙した。小競り合いが続ていたが松永軍が放った火が大仏殿に移り全焼、大仏も上半身が溶けてしまった。この時、大和の地侍たちに手紙が届いていた。手紙には近々足利義昭を奉じて上洛するので義昭に対する忠節と松永久秀親子とより一層懇意になることをお願いしたいと書かれていた。差出人は織田信長だ。久秀は水面下で信長と手を握っていたのだ。

永禄十一年(1568)信長は将軍義昭を奉じて上洛を果たす。久秀は信長との同盟で大和支配をさらに強固なものにしてゆく。信長は久秀は自分と同じく古代の権力をぶち壊す自分の思いと同じ奴だと同士だと感じ馬が合っていたと思われる。

しかし、信長上洛からわずか三年後、将軍義昭が久秀と対立している筒井順慶と姻戚関係を結ぶ、さらに順慶は信長の家臣になることを認められた。怒った久秀は義昭の家臣を攻撃、その後も織田軍と各地で衝突を繰り返す。

天正元年(1573)久秀はついに多聞城を開城し久秀の大和支配は終わった。四年後、足利義昭の呼びかけにより大阪の本願寺、宇喜多、毛利等が打倒信長と立ち上がったのである。この時久秀は信長軍の武将として本願寺攻めの最前線にいたが義昭からの誘いを受け信長にそむく。だが、援軍が来なかった久秀は追い詰められ自害するのだった。享年70歳。

戦国史に様々な逸話を残した松永久秀。戦国を象徴する人物だから悪いイメージだけが後世に残ったのか・・・。今後、ドラマではどう描かれるのかが楽しみです。

麒麟がくる紀行-清州城

 

清州城

清須は斯波(しば)氏によって守護が置かれて以来、尾張の中心地として栄えました。斯波氏を追放した織田信長は那古野城から清州城へ拠点を移しました。商人や鍛冶職人を集め、城下町を発展させていった信長はこの清須から尾張統一を目指したのです。

  • 応永12年(1405)、尾張・遠江・越前守護の管領・斯波義重によって築城。
  • 信長は、この城から桶狭間の戦いに出陣するなど、約10年間清須を居城とした。
  • 本能寺の変の後、天正10年(1582)6月27日に開かれた織田家の世継を決める清須会議が行われた。
  • 関ヶ原合戦の後は、徳川家康によって、清須から名古屋への遷府が指令されると、慶長15年(1610)より清須城下町は名古屋城下に移転された。清須城も名古屋城築城の際の資材として利用され、特に、名古屋城御深井丸西北隅櫓は清須城天守の資材を転用して作られたため「清須櫓」とも呼ばれる慶長18年(1613)名古屋城の完成と城下町の移転が完了したことにより廃城となった。

 

清州城(googleアース活用)

<天守構造: 不明望楼型3重4階 1989年RC造模擬>

麒麟がくる 1話~21話

1話 光秀、西へ 光秀、堺と京を訪れるが・・・
2話 道三の罠 籠城をする道三だったがそれにはある策があった・・・
3話 美濃の国 斎藤道三、土岐頼芸のもとを訪れるが・・・
4話 尾張潜入指令 光秀と菊丸が薬草売りを装い尾張に潜伏するが・・・
5話 伊平次を探せ 光秀、鉄砲職人伊平次を探しに京へ行く。
6話 三好長慶襲撃計画 万里小路家連歌の集いで三好長慶が狙われるが・・・
7話 帰蝶の願い 織田信秀が斎藤利政に和睦を申し入れてきたが、それにはある条件があった・・・
8話   同盟のゆくえ 織田と斎藤の同盟は帰蝶の輿入れが条件だった。帰蝶が取った行動とは・・・
9話 信長の失敗 信長は信秀に祝いの品を差し出すのだが・・・
10話 ひとりぼっちの若君 今川義元は織田家の人質竹千代と織田信広の交換条件を突き付けてきた。
11話 将軍の涙 織田家VS今川家。美濃はどうする。
12話 十兵衛の嫁 光秀は煕子と結婚し、母と叔父の光安も大喜びだった。が、稲葉山城からのろしが上がる・・
13話 帰蝶のはかりごと 道三と対面する信長を帰蝶がプロデュースする。
14話 正徳寺の会見 斎藤道三と織田信長は正徳寺で初対面を果たした。
15話 道三、わが父に非(あら)ず 尾張の織田家と美濃の斎藤家で身内同士の暗殺劇が起こる。
16話 大きな国 道三は二人の息子を失った。殺害したのは嫡男の高政であった・・・
17話 長良川の対決 ついに、美濃国内長良川において斎藤親子が激突!
18話 越前へ 新天地越前にたどり着いた明智家の人達   越前一乗谷で、光秀は朝倉義景に謁見する。
19話 信長を暗殺せよ 近江朽木に戦火を逃れていた将軍・足利義輝は三好長慶と和睦し5年ぶりに京に戻った。
20話 家康への文 家康と母・於大の方の感動秘話。
21話 決戦!桶狭間 日本の歴史が変わった運命の一日!

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