これで関門海峡の歴史が分かる!~近代編-下関門司~

 

なるほど関門学講座2019関門海峡総集編ということで中世、近世とまとめてきましたが、今回はいよいよ最終編近代をまとめています。

時間軸では一番現代に近く近代化の波が押し寄せ日本全体が様変わりしてきた時代です。関門海峡にも大きな変化が生じました。今回はその様子をレビューにてまとめています。どうぞ、ご覧下さい。

下関市

鉄道開通

門司港が開業した10年後の明治34年(1901年)山陽鉄道会社により神戸・下関間(529.9km)が開通した。馬関停車場の建築は全て洋館として設計された。明治35年(1902年)には赤間関市から下関市に改称された為、駅名も馬関駅から下関駅に改称した。改称の理由としては、赤間関は下関、馬関とも呼ばれ一定の地名がなかったが、対外交渉に使われているのは下関だったので海外に知れ渡っている下関を正式名称とした。

明治40年(1907年)には冷蔵車が製造され、下関に水揚げされた鮮魚が遠く阪神・東京まで運ばれるようになった。貨車の改良が行われたことにより、新鮮な食品を遠方に運ぶことが可能になった。大正10年(1921年)には鮮魚の量に貨車が追いつかない事態が起こったが、大正14年(1924年)には冷蔵車が400台ほどまでに増加し、1か月に鮮魚発送に用いられた冷蔵車は約1,000台までに上った。

大正10年(1921年)には下関駅の乗降者数は、1日平均約5,000人が利用するまでになった。イギリス人、アメリカ人、ロシア人などの外国人も利用した。その為、10名に上る外国通訳を下関駅に配した又、下関駅員の英語の演習も行っており、英語のみならず韓国語を話す人もいました。現代はグローバル化の時代と言われていますが明治・大正時代にすでにグローバル化の時代が到来していたのには驚きです。

                                        下関駅 撮影:ryoujiro

港湾整備

明治16年(1883年)下関の築港請願書が提出されました。近代になり外国の船は規模も大きくなったが、下関の港は海底に凸凹があり、港湾の中に土砂が堆積していて大きな船が出入りできず、このままだと商業が衰え将来に影響するとの内容だったが請願むなしく実現には至らなかった。そのうち、下関に入る蒸気船は一隻もなく下関の繁栄も、あと数年で門司港に奪い取られる状況まで衰退していった。

その後は、馬関停車場近くまで本土九州連絡船が停泊できる往来貨物の積卸の利便性を考慮した船溜池を設ける計画が浮上し港湾整備事業が本格化した。明治32年(1899年)門司港と共に下関港が一般開港場になる。

関門連絡船は開業当初から、海峡を1日8往復した。大正10年(1921年)には1日平均約3,000人が利用するまでになった。明治38年(1905年)から下関と釜山を航路でつなぐ関釜連絡船が開業。開業当初は、壱岐丸による隔日運行だったが、それからまもなくして対馬丸が就航することになって毎日運航となった。

門司市

鉄道開通

明治24年(1891年)九州鉄道の門司駅が開業。昭和17年(1942年)に関門トンネルが開通。このトンネルは延長3.6kmで世界初の海底トンネルです。関門トンネルの開業により、関門連絡船を介して下関駅と門司駅(現:門司港駅)で乗り換えて30分以上要していた門司と下関の行き来を、9分程度と大幅に短縮させ、利便性を向上させた。

又、物流面でも船と鉄道の積み替え作業が無くなったため、輸送する時間と量が大幅に改善されたことで、日本経済の成長を大きく支えてきた。

関門トンネルの開通に伴い大里駅を門司駅に改称した為、起点駅である門司駅は門司港駅に改称した。

                                                                                                             門司港駅 撮影:ryoujiro

港湾整備

近世九州北部は北前船の碇泊場として田野浦が整備されていたが時代のうつりかわりと共に北前船の需要もなくなってきた。やがて石炭が重宝されるようになると門司港が石炭の輸出港として栄えるようになる。

明治23年(1890年)門司港が開業。明治28年(1895年)門司築港株式会社が船溜まり1カ所増設を申し出る。理由として冬季強風に際して船舶の安寧を保たんとするため。明治32年(1899年)下関港と共に門司港が一般開港場になる。明治40年(1907年)鈴木商店が大里に1万坪の大倉庫群を建設するまでになる。

                                                                                                   門司港第一船溜 撮影:ryoujiro

まとめ

今回、関門海峡を中世、近世、近代と三つの時間軸に分けて講座を受けてきました。レビューを綴りながら改めて思うことは、その時代に合った形で関門海峡は常に進化を遂げてきたんだなということです。その時代時代で暮らす人々が知恵を出して最良の方法で関門海峡という自然と共に生きてきたんだなと実感しました。

関門海峡は下関と門司が一体となった世界の航路です。下関がなければ門司に大船は碇泊することはなく、門司が無ければ下関はたんなる荒海となって港の機能は果たせなかった。関門海峡というこの自然の地形こそが下関門司の発展に寄与しています。これからも関門海峡界隈の歴史魅力を発信していきます。最後まで読んでいただきありがとうございました。