今さら聞けない!雛飾りの飾り付け方と配置並べ方期間

日本では四季や文化にまつわる年間行事が様々ありますよね。

節分には豆をまき、七夕になると短冊を下げた笹竹を飾るといったそれぞれの習わしがあり、それぞれで異なる趣旨が持たれています。

その行事の一つに「ひな祭り」がありますが、

そもそも、ひな人形って何で飾るの?どんな飾り方があるの?飾る期間、歴史等、ひな人形の何故?について詳しく解説してますよ。

 

雛人形(ひな人形)を何故飾るのか?

 

雛人形を飾る風習の雛祭り(初節句)としての起源は古く、約千年以上の昔、平安時代の中頃と言われています。その時代、三月始めの巳(み)の日を上巳の節句(じょうみのせっく)という、 子供の無病息災を願ってお祓いをする行事がありました。

これに「雛遊び」と呼ばれる“ままごと遊び”が今から約六百年程前の室町時代初期に融合し、宮廷で行われるようになりました。

可愛い「雛」(ひな)とは鳥のように小さく、かわいいという意味で、 小さな人形や道具を使って”ままごと遊び”をする事を「ひいな遊び」と呼んでいました。 雛道具は嫁入り道具です。

今のように広く全国に「ひな祭り」(ひな人形)が広まったのは戦国時代が終わり、江戸時代に入ってからの事です。

子供に対する愛情の表われでもある、初節句(桃の節句)上巳・端午・七夕の節句は、今日でも盛んに行われています。

 

雛飾り 期間 いつから飾るの?

 

お雛様を飾る時期は、立春(節分の翌日、2月4日ごろ)から2月中旬にかけてがよいと言われています。節分で豆まきをして厄を払ったあとに飾る、という流れで覚えておくとよいでしょう。

これは、桃の節句は春の節句という事もあり、春の訪れを告げる立春が一つのベストタイミングだからと言えますね。

雛人形を長い間楽しみたいと、1月の下旬ごろから飾るお宅も増えてきましたので、小正月(1月15日)が過ぎて一息ついた頃の晴れの日ならいつ出しても大丈夫です。

遅くとも、ひな祭りの一週間前までには飾り付けを済ませるのが良いといわれています。

ただし、雨や曇りの日は避けるようにしましょう。

 

それぞれの時代のひな人形

 

お雛様を飾るという風習はいつからあるのでしょうか?

それぞれの時代のひな人形、ひな人形の原型を見ていきましょう。

古代-ひとがた、かたしろ

 

ひとがた

より大陸の文化が日本に入ってくると、人の形の「ひとがた」を作りました。そのひとがたで身体をなで、厄や災い・けがれといったものをひとがたに移していました。

かたしろ

ひとがたを身代わりの「かたしろ」とも呼びます。かたしろを川に流すことにより、人々は厄払いとしていたのです。

平安時代-天児、這子

 

厄払いの意味合いが一歩進んで、赤ちゃんを守る役割を負うのが天児(あまがつ這子(ほうこです。這子は「祓い子(はらいこ)」から来たもので、どちらも平安時代の貴族の間に広まりました。

天児這子男女一対の人形とする立ち雛(びな)形式が生まれ雛人形の起源の一つとなりました。

天児(あまがつ

幼児の災難を除くために,形代 (かたしろ) として凶事を移し負わせるための木偶 (でく) 人形。 平安時代に神事の祓に用いられた。 源氏物語』の「薄雲」「若菜上」などに天児のことが記されてます。

這子(ほうこ

這子は白絹の四隅を縫い合わせて手足を作り、綿を詰めて頭を差し込んだ布製の人形です。うつぶせにすると乳幼児が這い這いする姿に似ていることからこの名前がつきました。

江戸時代の這子-這子は一般の家庭にも広まり、赤ちゃんのお守りとして枕元に置かれるようになります。
昭和の這子-おばあちゃんやお母さんが縫った「ほうこ」を幼い女の子におんぶして遊ばせる風習が残ります。このころは「おさるさん」とも呼ばれ、柔らかいぬいぐるみは安全なおもちゃになりました。その後も呼び方は様々に変えられて各地の郷土玩具として残り、その代表格が、飛騨高山の「さるぼぼ」です。

流し雛

流し雛(ながしびな)は 雛祭りのもとになったといわれる行事で「雛流し」ともいわれる。

祓い人形と同様に身のけがれを水に流して清める意味の民俗行事として、現在も各地で行われている。

流し雛は『源氏物語』の須磨の巻に出てくるほどに歴史は古い。光源氏がお祓いをした人形(形代)を船に乗せ、須磨の海に流したという著述がある。

<各地で行われている流し雛>

  • もちがせの流し雛(鳥取用瀬町)-男女一対の紙雛を桟俵にのせ菱餅や桃の小枝を添えて災厄を託して千代川に流します。
  • 吉野川流し雛(奈良五條市南阿田町)-源龍寺で流し雛の供養と法話が行われる。儀式のあと吉野川にて女児の代表が願い文を朗読し、各人それぞれの祈りを込めて、竹皮の小舟に乗せた雛を清流に流す。

ひな飾り 江戸時代-立雛・紙雛、雛段飾り、享保雛、次郎左衛門雛、古今雛

 

立雛・ 紙雛

江戸時代の享保(1716)のころまでは質素な紙雛(立ち雛)が一般的でした。形代の形状を踏襲しており紙でできているものも多くあったようです。

雛人形の原型は平安時代にあった流し雛です。そこで川に流していたお人形は立ち姿をした物でした。モデルになったお人形が時代を経て立雛になりました。最初の頃は紙を使った簡素な作りでしたので、立ち姿の人形を作るのは簡単だったと思われます。

寛永雛

江戸初期になると寛永雛という雛人形がつくられ、雛人形の主流も座り雛へと移り変わってゆきます。特徴としてお雛様のお顔が面長の顔のお顔になってゆきます。サイズはコンパクトで男雛が少し大きめの12cm、女雛は9cm程の物が主流でした。

雛段飾り

江戸時代初期までは、敷物を引いた台の上にひな人形を並べた簡素なものでした。しかし江戸中期頃になると祝い事には奇数が良いという考えから、5段や7段の段飾り雛が広まっていきました。

享保雛(きょうほびな)

江戸時代、八代将軍徳川吉宗公の時代の享保年間(1716~1736)に京都で生まれて各地に広まっていったお雛様が享保雛(きょうほびな)です。享保時代は贅沢で豪華絢爛な時代だったため、京都で作られ始めた時は「寛永雛」を基にして豪華で高級なものを作っていました。

また、大きさもはじめは寛永雛と同じようなサイズの20cm以下だった大きさが、各地に広まると同時に次第に大きくなっていき60cmくらいあるものまで作られるようになりました。

その後景気が悪くなり、緊縮財政を強いられた八代将軍徳川吉宗により、贅沢禁止令が発令され雛人形にも寸法の制限が設けられ、小さな品が多く作られるようになっていきました。その後時代が変わっても享保雛の形は残り、作り続けられました。

次郎左衛門雛

1660年代に京都の人形師雛屋次郎佐衛門が作り始めたもので、作者名がそのまま雛人形の名称となった、江戸時代を代表する雛人形です。宝暦年間から寛政年間約30年の間、江戸でその人気を独占したとされ、特に公家や諸大名には雛人形の本来の姿として、末永く飾られました。

江戸中期に流行した次郎左衛門雛。お顔におおきな特徴があり、最初は京都で作られました。後に関東でも作られ、その後登場する古今雛につながって行きます。

古今雛

古今雛とは江戸後期に日本橋の原舟月という人形師によって作られた雛人形です。男雛は束帯、女雛は平安時代の上級公家の正装「五衣唐衣裳」を模した華麗な装束を身にまとっています。

人形の目の玉に水晶やガラスの玉眼がはめ込まれていることが多く、女雛の髪型は大垂髪(おすべらかし)で、その前髪を上げておくために釵子(さいし)額櫛(ひたいぐし)が使われているのも特徴です。その他、天冠(てんかん)と呼ばれる大きな金の冠をつけた女雛が多いのも古今雛の特徴と言えます。

古今雛現代のお雛様の元となっていて、現在の雛人形の作り方によく似ています。

 

ひな飾り 明治~大正-御殿飾り 紫宸殿

御殿飾り

京都大阪で多く飾られていた御殿飾りは、豪華で大きな雛飾りで、京都の御所・紫宸殿を模したものです。

紫宸殿-内裏の正殿であり、天皇元服立太子礼、譲国の儀などの儀式が行われ、即位礼の舞台でもありました。天皇が普段居住する清涼殿に対し、紫宸殿は公的な行事に使用されていたそうです。

 

ひな飾り 昭和-段飾り

段飾り

明治・大正時代までは京都を中心に関西地方で一般的だった御殿飾りですが、昭和30年代後半に入るとほとんど見られなくなりました。

複雑で組立が大変であること、収納が不便であることそして時代により商品が画一化されたことなども御殿飾りが見られなくなった大きな要因となりました。

そのため昭和40年代になると関東で流行っていた段飾りが全国で主流となり、現代に至っています。

 

知ってました?雛人形は15人で勢ぞろいですよ

 

内裏雛(だいりびな)

 

男雛女雛一対で、天皇皇后を模したものとされます。皇族用の繧繝縁(うんげんべり)の厚畳の親王台が敷かれます。繧繝縁は天皇など、限られた身分の人だけが用いることができるとされています。

並べ位置は大正の初め頃から、男雛向かって左に飾ることが一般的になっています。

天皇皇后の結婚式を模した作りとなっています。 夫婦の理想像である天皇と皇后のように、良縁に巡り会えますようにと祈りが込められています。

 

三人官女(さんにんかんじょ)

 

三人一組であることから、三人官女とよばれています。

お行儀や和歌・漢文のたしなみがあります。お雛様の日常をサポートする役割も担っているため、親王に近い位置の2段目に飾られます。

 

五人囃子(ごにんばやし)

 

能のお囃子を奏でる5人の楽人をあらわし、三段目に配置する。

向かって右から、(うたい・扇を持っている)、(ふえ)、小鼓(こつづみ)、大鼓(おおつづみ)、そして太鼓(たいこ)の順であり、右から楽器が小さい順番に並んでいます。

 

随臣(ずいじん、ずいしん)右大臣と左大臣

 

警護を役目としている随臣は上から4段目に、通称:右大臣左大臣。向かって右が左大臣で年配者、向かって左が右大臣で若者である。いずれも武官の姿であり、正しくは近衛中将または少将である。

格式の高い濃色の着物を着ている人形が左大臣になります。

 

仕丁(しちょう)

 

別名、衛士(えいじ)とも呼ばれています。

怒り・泣き・笑いの豊かな表情をした三人一組で、いわゆる役所の雑役夫です。中央が沓台(くつだい)を、向かって左が台傘、右が立傘を持ち物として飾るのが一般的です。

 

 

お雛様 並べ方

 

お雛様の配置、並べ方、数には決まりがあるの?

どの人形をどういう風に並べればいいのか見ていきましょう。

 

お雛様 親王飾りとは?

 

内裏雛(男女一対の雛人形)のみを飾る雛人形で、室町時代まではこの親王飾りが主流でした。

親王飾りは一般的に、向かって左側男雛、向かって右側女雛の江戸雛が主流。お二人の位置が入れ替わるのは京雛といい、現代では少数派になっています。

 

雛人形 並べ方 5人飾り(二段・三段)の飾り方

 

五人飾り内裏雛三人官女を飾るタイプの雛人形です。二段か三段飾りが一般的で、一番上の段には男雛女雛を並べます。

二段目には三人官女を飾りましょう。最後に官女の間丸餅やお道具などを飾って二段飾りの完成です。

三段の場合、一番下の段に婚礼道具を飾ります。婚礼道具に明確な順番はありませんが、見栄えが良くなるように並べてあげましょう。

 

雛人形 並べ方 10人飾り(三段飾り)の飾り方

 

十人飾り(三段)の場合は、男女の雛人形三人官女の他に五人囃子が加わります。二段目の三人官女まで並べたら、三段目に五人囃子を並べます。

並べ方は向かって左から太鼓→大鼓(おおつづみ)→小鼓(こつづみ)→笛→謡(うたい)の順に並べます。小道具も増えるので注意が必要です。太鼓には太鼓台ばちが付きます。鼓、笛はそれぞれ持たせ、にはを持たせましょう。

 

雛人形 並べ方 15人飾り(五段、七段)の飾り方

 

十五人飾り(五段)は男女の雛人形三人官女五人囃子、四段目には随身(ずいしん)を飾ります。

随身(ずいしん)は向かって右が左大臣でお爺さんの人形、向かって左は右大臣で若者の人形です。どちらも同じ年恰好であれば、格式の高い濃色の着物を着ている人形が左大臣になります。

四段目の両側に大臣を配したら、大臣の間に仕丁を置きます。右大臣→台傘を持った仕丁→沓台を持った仕丁→長傘を持った仕丁→右大臣の順に並べましょう。最後の五段目にはではさむように婚礼道具を飾ります。

十五人飾り(七段)は、四段目の両大臣の配置までは同様に、両大臣の真ん中に菱台二つ、菱台を挟む形でお膳二つを配します。五段目には橘→仕丁(台傘)→仕丁(沓台)→仕丁(長傘)→桜の順番に並べます。六段目にはお化粧道具食器など小さなお道具類七段目には駕籠御所車などの大きな婚礼道具を飾ると見栄えが良くなるようです。

雛飾り 置く場所は?

 

お雛様の歴史もわかり配置並べ方もわかりましたね。

それでは雛飾りを置く場所としてはどこが良いのでしょうか?

 

ひな飾りを設置する場所。どこか決まりがあるのでしょうか?
ひな飾りは床の間や和室などにも合いますが、せっかく飾るのですから、家族の目に届く範囲、リビングなどに盛大に飾り付けるのも良いでしょう。 特に決まりはないようですので、自由に目立つ位置にお飾りしましょう。

 

雛飾り ぼんぼり-雑学

 

ひな祭りの歌といえば、「あかりをつけましょぼんぼりに ~」で始まる『うれしいひなまつり』が有名ですね。基本的には、ぼんぼりは雛飾りのお内裏様お雛様両脇に飾られます。

ぼんぼりひな人形と一緒に飾られるようになった時期は、江戸時代だと考えられています。当時、結婚式は亥 (猪) の刻 (夜9時から夜11時の間) に行われていました。

雛人形の雛飾りは、お内裏様とお雛様の結婚式の様子を表したものです。

今では豪華にライトアップされた結婚式ですが、昔はロウソクや油を使った行灯の灯りで行っていたんですね。

 

雛飾り 梅の花-雑学

 

ひな飾りに飾られている花は橘と桜が飾られていますが、一方で桜橘の代わりに、紅白の梅花をお飾りする雛人形もよく見られます。

紅白の梅花は、雛人形に限らずですが、紅梅白梅大変縁起の良いものとされています。 梅の季節感がよく、春にお飾りする雛人形を引き立ててくれますね。

お飾りする位置は、向かって白梅、向かって紅梅となります。

 

雛飾り 赤い布 名前-雑学

 

雛人形の飾りに敷く赤い布、魔除けの意味合いも持つ毛氈もうせん)といいます。

むかし中国では、赤は魔よけの色でした。神社の柱が赤く塗られているのも、また橋が赤く塗られているのも全て悪魔、つまり病気や地震や火事のような悪いことが起こりませんようにといった魔よけの意味があってされたことだったのです。

ですからむかしの赤ちゃんは、男でも女でも赤い産着を着ていました。それで雛人形にも悪魔が近寄らないように赤の毛氈(もうせん)を敷いたというわけです。

 

きょうびな配置、雛飾り 京都式

 

現在一般に広く売られている雛人形は関東雛と言い、向かって左にお殿様が座っているものになります。逆に向かって右側にお殿様が座っているものは京雛と言われます。

京雛では向かって右がお殿様、関東雛では向かって左がお殿様です。京雛の位置は、御所における玉座の位置に基づいています

 

お雛様 頭の飾りは烏帽子?-雑学

 

男雛の髪かざりは、かんむり)です。しばしば烏帽子(えぼし)と混同されて記載されている場合があるので、注意が必要です。

かんむり)は、朝廷に出仕する際の公式制服の一部です。冠が公的な髪かざりとすると、烏帽子は普段の髪かざりということになります。

 

有識雛とは?-雑学

 

有職は「ゆうそく」または「ゆうしょく」と読みます。有職雛は江戸時代中後期、宝暦・天明文化(1751年~)の頃つくられた雛人形です。

宮中の装束を受けもっていた高倉家山科家にちなんで「高倉雛」「山科雛」ともよばれていました。わざわざ人形用に布地を織って衣装に仕立てます。

有職とは、季節や年齢、地位によって装束が替わってくるので、お人形も着せ替えが出来るものがありました。とても、手間をかけてつくられた、写実的な贅沢な雛人形でした。

雛人形 最高峰は?-雑学

 

雛人形の本流をたどるとき、京都はその発祥の地として、常に最高峰を極め続けてきました。

京雛」は、千二百年という古都の歴史の中で、守り伝え、磨き抜かれてきた一流の技と美の結晶。そこには、京を代表する雛人形作家のあくなき創作への情熱が息づいています。

「京雛」の製作数は決して多くはなく、それゆえに、その希少さも大変価値のあるものです。

 

さげもん-雑学

 

さげもんとは、福岡県柳川市に伝わる風習。吊るし飾りのひとつ。女児の生まれた家庭では、その一生の幸せを願い雛壇は父方の実家から、さげもんは母方の親戚、母、祖母が用意する。

正式には約40cmの竹輪に赤白の布を巻きつけ、細工ものと柳川まりを交互に7列7個の49個をつるす。人生50年と言われた時代に女性は一歩引いて49年と配慮した意味を含ませている。

元々は奥女中嗜み教養のひとつとして、お姫様が生まれると琴爪入れなどに使う袋物を姫様の健やかな成長を願い繕い贈ったのがはじまり。やがて吊るし雛へと型を変え柳川まりとともに伝承されてきた風習である。また彼女らの里帰りを通して庶民にも伝えられた。

 

市松人形-雑学

 

市松人形のはじまりは、江戸時代であるとされています。江戸に佐野川市松という歌舞伎役者がおり、その美しさから人気もあり、これを模した人形まで発売されるようになりました。これが「市松人形」と名付けられ、一般庶民にも広まるようになったのです。

市松人形に関する文化は地域によっても違ってきますが、父親の実家から贈る風習のある地域もあります。この場合の市松人形には、雛人形と並んで飾るお出迎え人形としての意味合いが込められているようです。

また、別の地域では長女に雛人形を贈り、次女には市松人形を贈るという風習もあります。雛人形の由来と考えられている「流し雛」では、雛人形が子どもの厄を引受け、身代わりとして使われていました。しかし現代ではその意味合いも薄れつつあります。雛飾りを姉妹で共有し、次女以降には市松人形を贈り、雛人形とともに飾るということが行われています。

雛飾り 期間 いつまで飾るの?ひな人形をしまう(片づける)日

 

雛人形を片付けるのは、啓蟄の日(けいちつのひ)がベストだと言われています。 啓蟄の日というのは、二十四節気のなかのひとつで、3月6日ごろのことを指します。

とは言え、片付けるのが遅くなったとしても特に問題がおきる訳ではありません。 しまう日のお天気はお人形にとってとても重要です。 時期よりも、何よりも、お天気がよい日にしまうことはもっとも最優先するべき事です。

お子様を守るお人形ですから、湿気のない晴れた日に、お人形をねぎらいながら丁寧にお片付けすることを心掛けましょう。